わたしは農業に関連した商売をしていますが、過去に農業に携わったことは一度も無いのです。
それでも自分なりにいろいろと試しては、小さな畑で作り易い野菜を育てたり、販売用の野菜の苗を作ったりしています。
昨日は兼ねてから予定していた、畑への米糠と野菜の切れ端の埋め込みをしました。
ようやく体調も回復しましたから、久しぶりの力仕事です。
実はこの作業も、自分ながら半信半疑で、多分こうしておけば米ぬかの発酵熱が出て、2月下旬の野菜苗作りの時期には、ビニールトンネルの中が多少温もるのでは、との思いがあるのです。
大きなゴミバケツ様のプラスチック容器に入れた米糠を運ぶ時でした。
米糠ですからさほど重たくは無いのですが、腰の用心の為、5~6m先の畑まで転がして行くことにしました。
容器の上の縁を持って、下の縁を回転させながら進む時、ふとある思いが頭をよぎりました。
~ 子供の頃、オヤジがこのようにして漬物樽を転がしていたなぁ・・~
わたしが高校を卒業するまでは、我が家は農業関係の商売と並行して、漬物関連の製造販売もしていましたから、父は良く木製の樽をこうして移動させ、トラックなどに積み込んでいたものでした。
父は漬物屋のオヤジらしく、一年中作業服を着て腰には厚手の前掛けを掛け、足元は何時もゴムの長靴を履いていました。
自分で仕込んだ沢庵など、主に四斗樽(しとダル、と呼んでました)を運搬用にして、トラックやリヤカーへ積み込むのですが、これが何十キロもある重たい物なのです。
それを父は上手く然程力も入れないで、自分の手を交差させながらコロコロと転がして移動させていました。
トラックに積む時は持ち上げますが、父の両腕は筋肉隆々としていて、体自体が岩を固めたように成っていたものでした。
父は長年わたし達の小学校のPTA役員をしていましたが、或る日小学校から帰ったわたしに、「今度の小学校の運動会では、樽転がし競争をするようになった」と笑いながら言いました。
父が新種目として自分で提案し、PTAも受け入れたようでした。
樽は我が家が提供するようで、その後父は空の四斗樽を幾つか洗って用意していました。
運動会の当日です。 生徒の応援席から見守っているわたしからでも、遠くで待機している父の姿は直ぐにわかりました。
1チーム5人づつが幾つかの列に別れ、それぞれが樽を転がして所定の旗を回って帰る競争です。
慣れない人たちの競争は樽をあちこちに転がして、面白いものでした。
その内ようやく父の番が来ました。 確かアンカーだったようです。
父は旗に向かい真っ直ぐにスルスルと樽を転がし、他のお父さん方をごぼう抜きにしてあっという間に旗を回り一位でゴールしました。
わたしは応援席で応援する間もなく、また応援する気にもならず、なにか見てはいけないものを見たような気分で思ったものでした。
「父ちゃん、これはやっぱりインチキみたいなもんやで・・・、ちょっとあんまりや~・・」
それから後の運動会では二度とこの競技は行われませんでした。
一人にやにや思い出し笑いをしながら、米糠はバケツ3個分無事畑に納めてしまいました。