今日はコロナワクチンの5回目を受けてきました。
また2~3日、少し肩が痛むのではと思いますが、今まではそれで済んでいますから今回もそんなことだろうと思います。
「マンガ 日本の歴史 17」は、蒙古来襲が書かれていて興味が湧きました。
鎌倉幕府の権力争い云々よりは、スケールの点でも大きく、歴史の激しい動きが見られます。
ご存じの方も多いと思われますが、わたしに取っては初めての知識のようでして、興味深く読めました。
1271年モンゴルは国号を「元」としますが、1274年フビライは大船300隻、軽とつ舟300隻、補給船300隻で、兵士25000人が日本に攻めてきます。
元軍の矢は射程距離が長く、しかも毒矢なのですね。 その上火薬を使った震天雷という鉄砲を使用します。
日本軍は武士が部隊の前に出て、名乗りを上げたりしていてその間に弓矢にやられたりします。
また日本の騎馬武者は、元軍の軽装で長槍を持った歩兵にも多くが敗れるのですね。
そんなことで、日本軍は大敗をします。
ところが元軍は日本軍を追撃せずに、夜軍船に引き上げます。 理由が判らず、作戦会議か?と書かれています。
その夜半大風雨が襲います。 冬の夜の玄界灘を襲う嵐だったようです。
元、高麗軍の溺死は13500人、助かった者は一か月以上掛かって高麗の合浦に帰着した、とあります。
そんなことで主戦場での戦いは、一日で終わっています。
1281年、再度の日本遠征をしますね。
モンゴル人、漢人、高麗人の東路軍が4万人。 南宋の降兵中核の江南軍10万人が寧波から出発しています。
ところが東路軍が抜け駆けで功を急ぐのですね。
しかし今度は日本軍も勇躍して戦います。 船へ夜襲もかけたりします。
今度は日本軍が意外に手ごわいので、東路軍は南宋の10万軍を待つのですね。
その内南宋の船4400隻、14万の兵が到着するのですが、なぜか一か月以上も海上を動かないのです。
威容を誇って、日本軍をビビらせる意思もあったのでは、とも書かれています。
そしてようやく移動を始めたら、台風の暴風雨に合う。
何か海難を待ってるような作戦のようですね。
それで生還者は3万数千人のみ。
溺死体が浦々の海を埋めて、船の出入りができなかった、とあります。
蒙古軍壊滅の理由が、次のように挙げられています。
1 もともと騎馬戦が得意な元軍は海戦に不向きだった。
2 使用船舶が、高麗や南宋で作らせた急造船だった。
3 高麗や南宋の降兵を含めた混成部隊で戦意が乏しかった。
元軍はインドシナ、ベトナム、チャンパ(南ベトナムに在った国)まで攻めてますが、やはり台風で2回ほど壊滅的被害に合っているのですね。
神風は日本だけでは無く、あちこちに在ったようです。
補給路が伸び切って、不得意な海戦などは日本に攻めてきたのと似た軍状だったようですが、結局は海の自然現象を甘く見た結果だったのでしょうね。
結局、海賊が砂漠で戦うのと同じようなことなのでしょうね。
権力者の無知は、多くの国民の犠牲を強いるものですね。
現実の世界でも、未だに言えることのようです、我々人類とは、賢いようで余り賢い生きものでも無いようですね。
何がそんな面を必要としているのでしょうか。
池波正太郎さんの本に 人間は悪いことをしながら善いこともするし、善いことをしながら悪いこともする と有りましたが・・・。
・・・蒙古来襲からも、また池波さんの台詞を書いてしまいました^^;