京都嵯峨の清涼寺に眠る光源氏のモデルと言われる源融の墓参り。
この石碑が発見出来ないと墓参りは難しい。
清涼寺境内の茶店で場所を聞いても若者は知らないと言っていた。
観光地で思うんだけど働いているのに観光名所を知らない人が多すぎるよね・・。
源融では名を知られていないけど光源氏なら有名だとおもうんだよ。
こちらがお墓。
近づけないので門外から撮影。
源融は小倉百人一首でも歌を詠んでいる。
小倉百人一首 14番
河原左大臣
みちのくのしのふもちすりたれゆへにみたれむとおもふ我ならなくに。
現代語に直すと。
陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように、
乱れる私の心。いったい誰のせいでしょう。私のせいではないの
に(あなたのせいですよ)。
源融は京都下京区の渉成園の庭を陸奥塩釜の風景を模したものに造ったそうです。
歌にも好きな陸奥の景色を思わせる。
光源氏とは紫式部の源氏物語の主人公で光の様に美しい源氏の男って意味である。
光は名前では有りません。
実際の源融が女癖が悪かったかは不明。当時の貴族はまぁ悪かったと思うよ。
現在でも名前が使われている事やアイドルグループの名前に使われた事等を報告してその場を去りました。美男子に産まれたかったですは言わないお約束。