その年(1960・S35)私は高校の卒業式にも出席せず東京
に出た 高校一年の時に東京に転向したK君の下宿先に転
がり込んで暫く暮らした そんなに難しい大学でもなかったが
不合格だった 一点集中で受験したので滑り止めの受験は
してない 前年の1959年9月26日の伊勢湾台風で高校は
ほぼ一ヶ月休校状態 あまり勉強好きでない私を含めた連
中は それぞれの目標の大学に滑る理由が出来たと喜んで
いた 案の定 名古屋大学 名古屋工業大学 愛知学芸大
学(愛知教育大学) 南山大学を目指していた連中の殆んど
は浪人することになった それ以外のこの地区の大学は進
学クラスで 自分の力相応の大学であれば無試験入学に
近い状態でした中には5月に先生に頼んで入学できた人も
いた 私たちの高校入学の年から大学区制になり 県内の
高校を何処でも受験できるようになった そんな事情で私の
住む地区の中学で夫々優秀な連中は旧制時代の歴史があ
る今でいう進学校に進んでレベルが少し下降した事情もある
私が知る限り 4クラス200人のうち東京の私学を受験したの
は2.3名でした 親(母子家庭・兄弟無し)は小さな小売業と
戦死した父親の遺族年金で何とか暮らしていた 月一万円の
仕送りを約束してくれた 友人の下宿先の近くの戸塚3丁目
の風呂屋の裏のアパート形式の部屋を見つけた 8.1平米
(5畳)で縦長のへやで畳3枚 コンロと流し台 半畳の押し入
れとドアの入り口 共同トイレ 電気代別で 4,000円也で
その辺りでも古い民家を改造した下宿は 汲み取り式便所で
私は2階でしたので 2階のトイレから太いパイプで地上のタ
ンクに大便が落ちる音はかなりな音でした 浄化槽付きの水
洗式のトイレに移行する前です 所により直接下水が敷設さ
れた所もある 自炊・外食での暮らしでした 大家さんは三味
線の先生で 私くらいの男の子と娘さんがあり 所謂2号さん
でした 岡崎から品のいい旦那が月に一度上京していたこう
して東京にも少し慣れた頃 1960年6月15日安保条約が
批准された夜 国会議事堂前では 110,000人がデモに
参加していた中央大学の学生 樺美智子さんがが圧死した
ラジオ関東が状況を克明に 実況中継していた 上京の際
母親が買ってくれたソニ-のトランジスターで下宿で聴いて
いた私は思わず部屋を出て歩きだしていた