2021年2月23日
昴の郷の温泉♨の帰り↓

父が光に還りました。
2023年3月17日午前0時15分。
昭和7年1月1日生まれ。
(ちなみに母も昭和7年1月1日)
91歳でした。


玉置 仙久は・・・


自・遊・学・生 ラボ

ざわん


NPL laboratory

The One

ガイドしてますウインク


民泊

ざわんはうす


のオーナーでもあります。



人生を教職に捧げ、
地域の活性化に捧げ、

人の喜ぶ顔爆笑が好きで、
笑顔ニコニコが好きで、

お節介とも思えることもあったが、
喜んでもらうことを望んで生きてきた。


玉置 仙久

ホームページは

↓こちらから 



8人兄弟の8番目。

養子に入った玉置家を盛り上げようと、

私の祖父が昭和35年頃に建てた家🏠を数度改修した。


土間・竃さん、

五右衛門風呂、

ぼっとん便所から、


台所をキッチンと呼ばれるようにし、

ステンレス風呂、

水洗便所、

二階の部屋を増やし、

二階にもトイレを作ったりした。


子育てには、

厳しくも愛情深く、


私たち兄弟は、

好きなことをさせてもらってきた。





両親の足元が危うくなる中で、

バリアフリーを目指して、

私も大規模改修した。


それが今の「ざわんはうす」に

引き継がれている。

玉置家三代目の家。


玉置仙久

プロフィール

はこちら 


思い出は・・・

まだ単車しかなかった頃、
黒いタンクの上に乗ってた。

その後、
初めての車がやってきた。

マツダの
ファミリアプレスト
 
兄と二人で迎えに行った光景は忘れない。

その後も

カペラ 
ルーチェ
センティア
プレマシー

と、
いつもマツダだった。
それは、父の同級生がマツダの店だったから。

父が若い頃、
まだ結婚してなかった頃
野球が好きで、
手作りのバットとグローブとボールで
子どもたちに教えてたらしい。 
よく話を聞かせてもらった。

足が速く、
村の大会で100mや200mで活躍したらしい。
私もほんの少し分けてもらってて、
20代後半で100mを12秒9で走ったことがある。
専門教育は受けてない。

私が小学生の時に運動会で
アキレス腱を切った。
それが
二度目の入院。

(一度目ははしごから落ちて肘の骨折。
まだ私が近所の保育所に行ってたときで、
落ちるんなら、言うてくれたら、
下にマット引きに行ったのにって
思ったてへぺろ)

その手術のときには、
下半身麻酔だったから
自分の足の手術を見てたらしい。

ありえない!

その後も何度も入院した。

尿管結石で
救急車で運ばれての三度目の入院。
モルヒネを打ったと言ってた。

その後、
学校のトイレで結石
カツーンと便器に出たと、
セロテープで貼った結石を持って帰ってきて
見せてくれた。

面白かった爆笑

冠動脈が詰まって
バイパス手術をすると決まってた時、

ある日、
ニトロを飲んでも気分が悪いのが解消しないと言って
自ら救急車を呼んで四度目の入院。

明日だったらいなくなってたよ。
という医者の話。

バイパス手術は8時間あまりかかり、
無事に成功。

麻酔から冷めたとき、
母に「おまえ誰や?」と言ったとか。
↑手術をしてくれた先生とツーショット

左右の胸骨を針金で結んでるんだって!
(骨上げの時にその針金を見た)

その後も入院する。

脳梗塞になりかけて五度目
無事退院。

畑で草引きをして、
その草を捨てるために谷に捨てに行ったときに
足を滑らせて後ろにこけた。
普段から、
草は畑の横に置いておいてと言ってたんだが。
きれい好きで、捨てないと気がすまなかったって。

後ろに転倒して肋骨骨折で六度目の入院。

家のリノベーションのために
近所の空いてる社宅を借りて住んでたとき、
そこの風呂では二人が入るのは難しく、
週末に温泉に通ってた。

いつものように、
長風呂をすると体が痒くなる私が先に出て、
待合室で待ってた。
しかし、
その日はなかなか出てこないので見に行った。
すると、
湯当たりして湯船から出られない状況に出くわした。

その場にいた観光客が手伝ってくれて
湯船から出してくれて、
一時間あまり快方してもらった。
ありがたかった。

ところがその後、
私や仕事場の人たちが発熱し、
新型コロナだと判明した。

父も母も検査結果が陽性に。
医者が言うには、
年をとってると発症しにくいみたいですね。

振り返ってみると、
快方してもらったときに感染したみたいだ。

こうして、
私たち家族は新型コロナで隔離された。

この新型コロナで七度目の入院。
その入院中の5月はじめ、
医者から覚悟するように言われた。

しかし、5月6日の朝、突然、
それまではめてた酸素吸入器が外れ、
血圧と脈もほぼ正常になり、
信じられないような回復をし退院。

心不全で八度目
このときも覚悟してた。
初めて誕生日を病院で迎えた。
しかし、
その後驚異の回復で退院。

退院後、90歳の誕生日祝をした↓
2022年1月28日

そして、
誤嚥性肺炎で九度目の入院をした。
入院して心不全も併発し、胆嚢肥大もあり、
食べ物を口にできなくなったが、
点滴で過ごしてた。

入院してた病院の看護師さんの
手を握って元気になってた。

いつまでたっても男だねぇニヤリ
って看護師さんと話をした。

3月15日
入院してた病院がうちから遠いこともあり、
近くの病院へ転院した。

その翌日の深夜12時、
寝てたところに病院から電話があった。

すぐに来てください!

母と用意し、
兄に電話をした。

しかし、
車で75分・・・

穏やかな顔をしてた。

老衰ということだった。

葬儀社を決め、
迎えに来てもらった。

母が家族葬でと言うので、
自宅につれて帰ってのお通夜・葬儀も考えたが、
様々なことを検討した結果、
家を離れての通夜・葬儀にした。

写真を用意することにした。
89歳の誕生祝い↓の写真にした。
2021年1月1日
父らしい笑顔ニコニコ

通夜・葬儀を終え、
火葬場に行き、
その後骨上げに行った。

担当の方の話によると
この歳で、
これだけたくさんのお骨が残るのは不思議です。
最大の骨壷を選んだけど
入り切らないほどだった。

最後まで話題を提供してくれた。

自宅に帰ってきた。

これまでありがとうございましたm(_ _)m。