勉強が進まないから一つ。
さっき、じいちゃんの事をもう一つの方にちょろっと書いたから書きます。
長文ですがすみません。
前も書いたかもしんないけど・・・。
うちのじいちゃんは6人兄弟の1番上だったらしくて、
なんというか面倒見の良い人でした。
我が家はじいちゃんが子供のときホントに貧乏だったらしく、
ロクに学校も通えず、中学校に行くお金もなく小学校で学生生活が終わったらしいです。
嘘のようなホントの話。
ただものすごく賢かった。
勉強の賢さじゃなくて生きる賢さを持ってる人でした。
そんなじいちゃんは小学校出てすぐ働いてて、家族を支えてきたそうです。
時代も戦争真っ只中だったみたいですからね。
オレの歳と同じ頃には父親、オレからしたらひいおじいちゃんを亡くしました。
それで30歳手前でうちのばあちゃんと結婚。
当時じいちゃんは魚屋をやってたらしく、
毎朝早くからチャリンコで市場に行っては魚を売ってたそうです。
で、最初の子供にうちのオヤジが生まれた。
魚屋だった当時もやっぱり貧乏だったから、
こんなんじゃ家族を養えない、と
魚屋をやめて大工になりました。
具体的な知識もなく大工。
ホントに苦労したそうです。
で、なんやらかんやらで子供2人(オヤジとおばさん)も順調に成長。
基礎の現場監督をするまでになったそうです。
今ないけど中海水門の基礎工事現場を仕切ってたのはうちのじいちゃんで、もともとのうちの学校の校舎もじいちゃんが前線だったみたい。
それで子供2人も大人になってどっちも結婚。
で、オヤジの倅として生まれたのがオレ。
ちっちゃい頃から叱られて叩かれて、でもここぞではやさしかった。
ガンコジジィだったけどね。笑
いろんなトコ連れてって貰ったしいろんな事教えてくれたし、ホントに最高のじいちゃんだった。
けどそんな事がいつまでも続くわけでもなくく、
オレが中学1年のときに亡くなった。
結局1年近くの闘病生活だったな。
ショックだった。受け入れられなかった。
亡くなってからしばらくは多分学校でも気が抜けてた。
時間が経つにつれてだんだん受け入れる事ができるようになって、
気づいたら中学卒業。
そして高専建築学科入学。
入学するときは紆余曲折あったけど、
なんだかんだで建築学科に進んで1番喜んでるのは絶対じいちゃん。
周りの人は口をそろえて、
『おじいさんが1番喜んどーなーわい。』
ってオレに言った。
そんなこと言われなくても自分が1番良く分かってたよ。本当に。
でも学校の授業は全く面白くなかったし、建築を好きになれなかった。
だから3年終わったとき、本当に学校辞める気だった。
親ともいろんな話した。
辞めることに関して親は反対しなかったし、むしろ、やりたい事あるなら好きにしろっていってくれた。
で、結局オレは学校に残った。
残る事にいろんな理由はあったけど、
やっぱり1番大きかったのはじいちゃんだった。
もしじいちゃんが生きてて、オレがやめるって言ってたら
多分反対はされなかったと思う。
頑固だったけどそういう人だったから。
だからこそ葛藤があった。
オレが建築学科入って間違いなく喜んでただろうからね。
あんまり死んだ人間に感情入れるのは好きじゃないけど、
じいちゃんを悲しませたくなかった。
それだけ。
ホントにそれだけ。
だから学校に残った。
そっからは建築に対しての考え方が変わったと思う。
嫌いな科目はやっぱり嫌いだけどさ。笑
もっと大きかったのが友達。
それまでは野球部と一部の人間しかクラスでは深くつるんでなかったけど、
4年になってから一気に深くつるむ友達が増えた。
バイトも始めた。
そのすべてが19歳、20歳に米子にいたからできた繋がりです。
そんな繋がりができたのももとはじいちゃんのおかげ。
無くなってなお、オレにいろんな素晴らしいものをくれる。
いつまで経ってもずっと自分の尊敬する人です。
気が付いたら今日からお盆。
普段はなかなか墓参りとか行けないけど、
しっかりお線香立ててきます。
もっとオレも頑張らなきゃな!
それが自分のできるじいちゃんへの恩返しだと思うから。
じゃあまた勉強再開します!
