過去に何度も述べたが、私の生家は結構な田舎にあって、田畑のほかに少しばかりの山林をもっていた。土地持ちだと金持ちだと思う人もいるかもしれないが、土地だけ持っていても何もならない。米や野菜くらいは自分で作れるがそれだけである。他の食材や日用品の購入、光熱費や税金、医療費、教育費等には現金が必要である。

 

私が子どもの頃、何とか現金を得るために、一家の主である父は色々な作物を栽培していた。しかし、田んぼも畑も山林もさして広大ではなく、それぞれの種類の土地で雑多なものを零細に作るしかなかったため効率は良くなかった。生き物相手の商売なので、休みはなく朝から晩まで働き通しだった。

 

 

山林ではシイタケの原木栽培をしていた。これは、栽培用の原木(1メートルくらいに切ったナラなどの木)に種駒(くさび型木片にシイタケ菌を純粋培養したもの)を植え付けてシイタケを人工栽培するものである。

 

最近知ったのだが、この種駒が開発されるまでは、シイタケは運よく木に天然の胞子がついて生えてくるのを待つという、ギャンブルで手に入れるような作物だったらしい。種駒開発してくれた人、本当にありがとうである。(さらに現在のシイタケは菌床栽培でもっと簡単確実に栽培が可能となった。本当にありがたいことである。)

 

さて、この原木栽培、春に種駒の植え付けが行われた。実家の山林には業者から原木が大量に運びこまれる。この原木に父が電動ドリルで穴をあけて、そこに母や祖父母、週末は子供も参戦して種駒を打ち込むのだ。

 

せっかくの休みの日をこの作業にとられてしまうのは子供心に凄く嫌だった。でも、親が大変なのは分かっているし、親の手伝いするのは当時(1970年代)は当たり前だったし、おやつに美味しい菓子パンが食べられるしということで、しぶしぶ参加していた。少しでも楽しくしようと飼っていた犬を連れて行ったりもした。(確かに少し楽しくなった。犬、ありがとう!)

 

山林に着くと種駒が1000粒入った袋を渡され、穴あけの終わった木にコンコンとトンカチで種駒を植えこんでいく。最初はトンカチで叩くのが少し面白かったりするがたちまち飽きが来る。電動ドリルとそれを動かすための発電機の音で、山林にいるのに滅茶苦茶うるさいし。作業の単調さよりも、この騒音が私には一番しんどく思われた。

 

かといって逃れることもできない。父の後ろには原木の山。あれに全部植え込むまで仕事は終わらないのだ。種駒も1000粒入りの袋が何十個か入った箱が何箱もある。とても終わるようには思えなかったが、それを考えるのはお手伝いに来た子供の仕事ではない。とにかくコンコンするのが私たちの任務だった。

 

そのうち、姉が袋の種駒1000粒を全部植え付けて大人たちに大絶賛された。最初、1000粒植えるなんて子供には無理と思っていたが、目の前で姉がやりとげたので、できないことではないことが分かった。それで、自分も到達してみたいと思って、余計なことを考えずひたすらコンコン打ち込んだ。少しずつ、本当に少しずつ、袋の種駒が減り、やがて袋の底が見えるようになり、数えられるくらいに少なくなり、最後はカウントダウンで全部植えきることができた。

 

終わったときはなかなかの達成感を味わえた。周りの大人たちも姉の時と同じように称賛してくれた。とても嬉しかった。ちょっと休憩して犬と遊んだ。

 

しかし、その嬉しさもつかの間。すぐに新しい種駒の袋が渡された。またイチから1000粒。気の遠くなる1000粒。でも、やるしかない。しぶしぶ新しい袋を開ける。考えても仕方ないからひたすらコンコンして作業をしていく。やってもやっても、なかなか種駒は減らなくて、ちょっと気が遠くなる。残りが3割くらいになるまでは本当にしんどい。3割になってもまだソコソコきつい。2割を切ると大分心が軽くなり、袋の底が見えると喜びが湧く。

 

こういうのを何度かやって、シイタケ植えのお手伝いの一日は終わる。余り楽しい体験ではなかったが、このお陰で私は1000という数を体感できるようになったと思う。

 

1000は大変な数である。私たちは100までは丁寧に数えたりするけど、それから先は一足飛びに次の桁にいってしまったりする。いやいや、次の桁になるまでにどれだけの数があるか。そして、頑張って次の桁1000までいったらその先はもっと大変だ。大変だった1000をまた一から積み重ねなければならないのだ。数はどうしたって一つづつしか進まないのだ。

 

これが、私がシイタケの植え付けを通じて学んだことだ。

 

まあ、こういう感覚を知っているからと言って、人生で特段いいことはない。それでも、例えばニュース等で災害の被害者が何百人とか何千人とか言われると、それがどれだけ大変なことか身をもって感じることができる。ピアノの練習をしていて全然上達しないときも、「でも私、まだ1000回も弾いてない」と思い直して続けることができる。

 

地味なことではあるが、こういう感覚が持てる自分はいいなと思う。だから、シイタケ植えしてよかったなと、何十年もたった今、しみじみと思うのだ。

 

 

 

シイタケ植えのお手伝いを通じて学んだもう一つのこと。

 

大人はすごいってこと。母は私の2倍以上の速さで植え付けをしていた。そして、私のように1000粒植え終わったからと言っていちいち大喜びもしない。黙々と、一日10袋位を植えていた。

 

父はもっとすごい。電動ドリルの穴あけは父ひとりがやったのだ。家族みんなで1日2万個以上の種駒を植えていたと思う。てことは父は2万個超の穴をあけたのだ。これを何日も。

 

更に、穴をあけるには、原木を穴あけ用の台に据えたり降ろしたりもしなくてはならない。すべて手作業。太くて重い原木もかなりあった。

 

大重労働である。当時40歳ちょい過ぎの父。かなりマッチョだったと思う。(あまり大柄ではなかったが、これだけの作業はマッチョじゃないとできないと思う。)

 

しかも、マッチョなくせに父は読書好きで詩人。今、こういう男性がいたら、間違いなくギャップ萌えしていると思う。

 

うちの親、カッコ良かったんだな。

 

何十年もたってやっと気づいた。

 

気づくの遅い。

 

でも、気づかないよりもまし。