最近心掛けていること。
それは、外科から緩和ケア病棟へ転棟した患者さんを訪問すること。
外科で闘ってきたというプライドを捨てきれず、緩和へ移る患者さんは少なくないのが現実…。
決して見捨てたわけじゃないのに、そぉ思ってしまう患者さんも多い…
だから、度々顔を出す様にしている。
緩和はホントはとっても温かくてイイとこだし、外科のようなバタバタしたとこよりも、何倍も生活の質を重視した看護が受けられる。
でも、死と直結させてしまうのが患者さんなんだよね…仕方ないことなのかもしれないけど。
だから、私は時間外になっても納得できるまで通います。
昨日も一人旅立ったと緩和の主治医からメールが来ました。
きっと最期は納得できるものだったと思った。
二日前に訪ねた時の家族を思い出すと、そぉ思える。
人生の最期を共に考えてあげることの難しさを日々感じるけれど、それはドクターにはできない、看護師の特権だと思います。24時間関われるからこそできると思う。
時に、ドクターの肩を叩いて緩和の話しをしてもらうこともしなければ…私達だからこそ見分けられる時期ってあると思います。
それは、外科から緩和ケア病棟へ転棟した患者さんを訪問すること。
外科で闘ってきたというプライドを捨てきれず、緩和へ移る患者さんは少なくないのが現実…。
決して見捨てたわけじゃないのに、そぉ思ってしまう患者さんも多い…
だから、度々顔を出す様にしている。
緩和はホントはとっても温かくてイイとこだし、外科のようなバタバタしたとこよりも、何倍も生活の質を重視した看護が受けられる。
でも、死と直結させてしまうのが患者さんなんだよね…仕方ないことなのかもしれないけど。
だから、私は時間外になっても納得できるまで通います。
昨日も一人旅立ったと緩和の主治医からメールが来ました。
きっと最期は納得できるものだったと思った。
二日前に訪ねた時の家族を思い出すと、そぉ思える。
人生の最期を共に考えてあげることの難しさを日々感じるけれど、それはドクターにはできない、看護師の特権だと思います。24時間関われるからこそできると思う。
時に、ドクターの肩を叩いて緩和の話しをしてもらうこともしなければ…私達だからこそ見分けられる時期ってあると思います。

