忖度とは何か。

忖度とは、他人の心情を推し量って、相手に配慮することである 。

心情とは、心の中にある思いや感情である。

その思いに添って、出来るだけ相手を満足させること、

感情に逆らうことのないよう、出来るだけ相手を安心させること、

それが配慮すると言うことである。

 

 現代の用語としての「忖度」は、

その相手を他と理由もなく優遇することである。

または相手の思いや行いが誤っている場合に、

その誤りを指摘しない、大目に見る、

無かったことにすることである。

それが今の「忖度」である。

 

 そして当方は、その配慮によって得をする。

相手との関係が良好に継続し、やがて得をする。

現状が複雑化するのを防ぎ、損害を受けない、

また、無駄な時間やエネルギーが費やされない。

こうして忖度することによって、

相手の能力不足や不正を容認するのである。

相手の能力不足や不正を暴いたところで、関係の悪化しかない、

自分には相手を非難する資格がない、

または自分も同様に非難される恐れもある、

などから、これらが行われる。

 

 相手の行動に取り立てて大きな問題がない場合、

またはその問題が、自分に大きく関わらない場合は、

その忖度は、社会的に効率良い対応とされる。

その問題が、やがて自分にどのように関わってくるのか、

大きな問題になっていく可能性はあるが、

多くは、何事もなく時代の波にのまれて消えて行く。

だから、多くの者が楽観視して、忖度をするのである。

人生の時間は限られている、無駄なことに費やす時間はない、

ゆえにこの対応は、社会的に必要悪として容認される。

 

 相手を忖度するその要因をまとめ、その例を挙げよう。

①権威(身分・地位)    「有名な肩書きである」「衆人に認められている」    

②優遇力(経済力・組織力) 「相手に権限がある」「影響力がある」「支配下にある」  

③威圧感(攻撃性・恐怖心) 「危険を感じる」「損害を受ける」   

⑤習慣性(伝統性)     「しきたり」「宗教、風習」

⑥面倒さ(時間ロス)    「関心がない」「厄介ごとに巻き込まれたくない」   

⑦同情(憐れみ・優越感)  「相手が弱者である」「蔑視しているととられたくない」    

⑧愛情(欲情・恋心)    「相手に好かれたい」「嫌われたくない」「大切にしたい」            

⑨劣等感(自信不足)    「十分に知らない」「反撃が恐い」「勇気がない」

⑩社会性(常識)      「大人気ない」「時代に融合」

⑪寛容性(親切心・弱気)  「迷惑をかけない」「気遣い、遠慮」「もめ事を避ける」

⑫優越性(自己顕示・慢心) 「気まぐれ」「我を通す」「意地になる」

⑬計画性(将来性)     「便乗する」「投資する」「付随する」

⑭特別性(選別性)     「仲間意識」「職人気質」

 

 当然、上の要因を感じても、忖度しない場合も多い。

それは真実を曲げたくないから、

または不明な真実を決めつけたくないからである。

それはやがて自分や社会に損害を招くと予想されるからである。

自分の信念に反する、正義を貫きたい、

正義をもって、相手の思いを否定し、

相手の行為を批判する。

 

 生活する上で、忖度を全くしないということは無理である。

すべての正義を貫くことは出来ない。

 

 正義とは何か?

人の正しい行いを差す。

正しいとは何か?

それは道理に従っているということである。

ではその道理とは何か?

自然の摂理に従い、万人の幸福へ導くことであろう。

全人類の最大幸福が目標である。

全生命のためではない。

全人類のための幸福である。

だが人によって幸福は違う。

そこに葛藤が生まれ、

次に、最大多数の最大幸福が目標とされる。

これは秩序思考と同じである。

秩序は、人々の幸福を目指す合理的な手段である。

正しくルールが作られ、

正しく施行される。

そしてフィードバックされて、不都合があれば修正される。

これが正義である。

 

 ルールは完全、完璧に守られるのは正しいが、

社会の中では、それは難しい。

ルールは言語で作られるが、言語にも表現の限界がある。

また現実社会において、その示す範囲の境界を厳密に区切ることは難しい。

ルールを細分化、厳密化すれば、人の通常の理解が及ばなくなる。

ゆえにルールには、多少の融通性(曖昧さ)が必要とされる。

そしてそこに、忖度が入り込む。

たとえば交通信号の黄色は、融通である。

基本は止まれだが、物理的に急には止まれないから、

止まれなければ進んでもよい。

この融通によって、交通はスムーズになり事故も防げる。

止まれれば止まれるのだが、後方から車間距離もなく車が迫っていたら、

危険を感じて進む。

これが忖度である。

悪いのは後方の車だが、自分が融通したのである。

ルールにある程度の融通は必要である。

そしてその融通が忖度を許すのである。

 

 ルールは秩序を築くための手段である。

ルールの融通は、その手段としての効率に必要である。

しかしその融通が広ければ、ルールとしての意義を果たさない。

上で述べた黄信号のように

究極の融通となるのが望ましい。

そしてその融通を活用して、忖度が生まれる。

つまり、ルールをはみ出しての忖度は問題であるが、

ルールの融通から生まれる忖度は有効であるということである。

 

 自分が損をしたくない、得をしたいという思いがストレートに現れて、

ルールを破った他者を、正義を楯に容赦なく非難する。

重大なルールを破った者には、それは必要だが、

取るに足らないマナーや習慣を破った者にも、それを用いる。

いわゆる過剰の正義感である。

そういう寛容さのない社会は、実にぎすぎすしてしまい、

万人の幸福を目指す社会には相応しくない。

忖度の本来の意味の「配慮」は、

人間は完全ではなくミスを犯す存在であることを前提として、

互いに多少の寛容は示そうということである。

忖度は行き過ぎれば、真実を歪めるが、

程々の忖度は社会を潤滑に回す。

忖度が必要悪とされる所以である。

真実を歪める忖度は、悪だが、

結果として真実に導くことになる忖度は善である。

ゆえにそれを使う者は、慎重に、これを承知しなければならない。