こんにちは、bungo-dです。

 

久々の投稿になります。ちょっと就職活動の方が忙しくて、なかなかブログの更新に手が回らなかった、という言い訳をしようと思ったのですが、なんてことはない、夜遅くまで就活をしてるわけでもなし、面接もどうせ昼のうちに終わるしで、畢竟、就活を隠れ蓑にしてサボっていただけなので、今日はとりわけはりきって、小説の紹介をしていきたいと思います(笑)。

 

今日の小説は、『満願』です。もしかしたら皆さんも、この小説はご存知かもしれませんが、全部で3ページ(『走れメロス』(新潮文庫))ほどの超短編です。太宰の小説の中でも、極めて短い数少ない作品になります。

 

さきほど、はりきって紹介する! みたいな妄言をはきましたが、この小説を語るには、どうしてもネタバレの要素を含まざるを得ません。何せ、3ページしかないもので、何か語ればそれが遠かれ近かれ、必然的にネタバレになってしまうという悲しい性が、超短編にはあります。なので今回の記事は、多分にネタバレの要素を含みますので、その点だけご了承いただいて、この先お読みいただけると幸いです。

 

さて、それではこのあらすじから紹介しますと、話は、主人公である「私」が、三島の知り合い宅に夏の間居候し、『ロマネスク』という小説を書いていたころのことで、ある夜に、酔っ払って自転車に乗っていると怪我をし(コケたのか、電柱に激突したのかは書かれていませんが笑)、病院に行った。そこで手当てしてもらっているうちに、そこの医者と意気投合し、医者の奥さんとも仲良くなって、それからも新聞を読ませてもらいにほぼ毎朝、散歩がてらに立ち寄るようになった。そんなある日、「私」は、薬をとりに来た若い女の人を見かけ、医者が、その人に、「奥さま、もう少しのご辛抱ですよ」と大声で忠告しているのが聞こえた。医者の奥さんの話によれば、その女性の旦那さんが、三年前から肺が悪く、しかし最近になってようやく、快方へと向かってきている。そこで、ふびんそうに伺ってくるその女性に、医者が、もう少しの辛抱だ、と心を鬼にして固く禁じている、とのことだった。

しかしそれも、八月のおわりになると、ついに医者からお許しが出て、ふいに、横座りに座っていた奥さんが、「ああ、うれしそうね」と「私」に小声でささやく。「私」がふと、顔を上げると、そこには簡単服を着た清潔な女性の姿があって、いかにもウキウキして、飛ぶようにして歩いていた。持っていた白いパラソルを、くるくると回しながら、「私」の目の前の小道を通る。

その美しく可憐な女性の姿を見て、「私」は胸がいっぱいになり、禁じられていた三年という永い月日をしみじみと思う。そして最後に一言、

 

あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。

 

たった、これだけのお話です。たったこれだけの話なんだけれども、私自身、今、この小説を要約していて、胸にジーンとくるものを感じました。三年、ですもんね。愛する人と暮らしながら夫婦生活を楽しめないつらさ。触れられる距離にいるのに、それ以上は進めないもどかしさ。私などでは想像もできませんが、それでもついにお許しが出て、ウキウキとパラソルを回しながら歩いている姿など、やはり読んでいて、よかったなあ、可愛らしいなあという幸福をおすそ分けしてもらったような気持ちになりました。あー、恋がしたい(笑)。

 

とまあ、こんな清潔で尊い小説、太宰らしくないように思いますが、いえいえそんなことはなく、随所に太宰の個性が光っています。特に、それが最後の、

 

あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。

 

という部分です。正直、一度読んだだけでは、どういうことかよくわかりません。というか、何回読んでも、「あれ」が何を指しているのか、「さしがね」とはどういうことなのか、はっきりとは私自身わかってはいません。他にも、なぜお許しが出たのが、「八月のおわり」なのか、なぜただのパラソルではなく、「白い」パラソルなのか。「ああ、うれしそうね」と「私」にささやいた時、お医者の奥さんは「横座り」だったのか。普通に正座でもしていればいいものを、なぜあえて「横座り」という動作を太宰は入れたのか……。たくさんの不可思議な要素が、この小説には散りばめられています。

 

私はこの小説を何度も読んだり、この小説についての大学の先生のお話を聞いた友人に又聞きしたりして(直接ではない笑)、ある一つの解釈を手に入れて、ああ! そういうことか! やっぱ太宰天才やん! という妙な確信を持っていますが、それでもその解釈にもどこか引っかかるところがあって、百パーセントの理解は得られていないような気がします。鍵はきっと、上に挙げたワードのどれかにあると思うのですが(笑)。

 

私のその解釈を、今ここでお披露目しようかとも思いましたが、なんだかまだ穴がボコボコ空いているような気もするし、何よりそんな愚鈍な解釈によって、読者のこの小説への見方を一面的に固定してしまうのも申し訳ないので、ここは渋々自重して、皆さんの想像力にお任せすることとします。

 

ただ一つ言えることは、この小説は何気なく書かれているけれども、ものすごく計算され、太宰の才能が遺憾なく発揮されているということです。太宰はとかく、『斜陽』や『人間失格』のせいで中長編のイメージの強い作家ですが、いわゆる「掌編小説」という分野も得意で、この他にも何作か、短いものを執筆しています。たとえば、『ア、秋』という作品がありますが、そこで太宰は、秋について、

 

「秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。」

 

などいかにも詩人みたいなことをたくさん言っていて、太宰の言葉や感覚の宝庫になっている作品で、とても興味深いので(というより読んだら、なんだか自分のボキャブラリーをぐっと広げられたような変な感覚になります笑)、いつか紹介したいと思っています。

 

お医者の奥さんの「さしがね」とは何なのか、なぜパラソルは「白い」のか、なぜお医者の奥さんは「横座り」したのか……ぜひ一度考えてみてください。というか、わかったら、教えてください。お願いします(笑)。

 

今日はこれで以上です。お読みいただきありがとうございました!

 

 

 

↓今日ご紹介した『満願』は、下の『走れメロス』(新潮文庫)という作品集に収録されています。