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  褒章(ほうしょう)文化勲章

日本国家としての栄典には叙勲・褒章・文化勲章があります。

叙勲国家または公共に対して功労のある者を勲等に叙して勲章を授けます。

褒章社会の各分野における優れた行いや業績のある者に褒賞の記章を授与します。

文化勲章日本の文化の発達に関して顕著な功績のあった者に授与されるものです               

 

                褒章(ほうしょう)

社会や公共の福祉、文化などに貢献した者を顕彰する日本の栄典の一つです。

対象となる事績により紅綬褒章緑綬褒章黄綬褒章紫綬褒章

綬褒章紺綬褒章の6種類があります。

内閣の助言と承認により天皇が授与する国の栄典では勲章、褒章いずれも「章」の文字を用います。

生存者に対する叙勲・褒章は、原則として春(4月29日付)と秋(11月3日付)の年2回行われます。

 

              文化勲章

日本の文化の発達に関して顕著な功績のあった者に授与されるものです。

毎年1回秋の叙勲においてのみ天皇から親授される。

叙勲・褒章の審査や栄典制度の調査・研究・企画業務などは栄典に関する政府事務は内閣府賞勲局が行なっています。

栄典の授与は、日本国憲法により天皇の国事行為の一つとして規定されています。

褒章はメダル本体の“章”、章を吊るして衣服に取り付けるための“綬”(リボン)があります。

 

 

     紅綬褒章(こうじゅほうしょう)

        

 

自己の危難を顧みず人命の救助に尽力したる者に授与される

1882年(明治15年)、青森県の海岸で暴風波浪により難破した漁船乗組員を救助した工藤仁次郎が受章第1号である。

2003年(平成15年)の栄典制度改正に伴い受章機会の拡大が図られ2004年(平成16年)春の褒章では16年ぶりに紅綬褒章が3名に授与された。

2005年(平成17年)春の褒章では落水車からの人命救助により15歳の少年に贈られた(未成年者で初の受章)。

また同年秋の褒章では、JR福知山線脱線事故で救助活動に当たった日本スピンドル製造や二次災害を防いだ主婦に贈られた。

2011年(平成23年)秋の褒章では、川で溺れていた男児を協力して救助した

13歳の少年に贈られた(2015年現在、最年少の受章者)。

 

 

         緑綬褒章(りょくじゅほうしょう)

      

 

自ら進んで社会に奉仕する活動に従事し徳行顕著なる者に授与される。

当初は「孝子・順孫・節婦・義僕の徳行卓絶なる者又は実業に精励し衆民の模範たるべき者」に授与することとされていた。

1882年(明治15年)、青森県で数十年にわたり母へ孝養を尽くした外崎専四郎が受章第1号である。

1950年(昭和25年)12月25日の受章を最後に一旦途絶えた。

これは1955年(昭和30年)の栄典制度改正で「実業に精励し―」の部分が黄綬褒章として独立し対象が狭まったこと、「孝子・順孫・節婦」の部分が家制度と家長を否定し法の下の平等・両性の平等・個人の尊厳を唱える日本国憲法第14条・日本国憲法第24条の趣旨に合わないこと、「義僕」とあるが家事使用人を長期にわたって雇うような裕福な家庭は最早見当たらないことなどによる。

そのため、平成15年栄典制度改正では受章機会・選考基準の見直しが図られ、平成14年8月12日政令第278号改正では褒章条例第1条中の緑綬褒章に関する部分が「自ラ進デ社会ニ奉仕スル活動ニ従事シ徳行顕著ナル者ニ賜フモノトス」と改められた。

これにより、社会福祉分野やボランティア活動などで顕著な実績のある個人等に授与することとなった。

そして、翌2004年(平成16年)春の褒章では半世紀ぶりに緑綬褒章が26名に授与された。

2008年(平成20年)には、長年の受刑者更生支援等奉仕者として芸能人で初めて杉良太郎が受章した。

芸歴の長い俳優は紫綬褒章の対象になることが多く、杉も翌2009年(平成21年)に紫綬褒章を授与された。

 

    黄綬褒章(おうじゅほうしょう)

      

 

業務に精励し衆民の模範たるべき者に授与される。

1887年(明治20年)、黄綬褒章臨時制定ノ件(明治20年勅令第16号)により「私財ヲ献納シ防海ノ事業ヲ賛成スルモノニ授与スル」(沿岸防衛事業への私財提供者)と定められた。

このときの受章第1号は、中井新右衛門。

その後数年間は授章されたものの、長らく途絶えた。

この勅令は、1947年(昭和22年)の内閣官制の廃止等に関する政令(昭和22年政令第4号)により一旦廃止された。

1955年(昭和30年)の栄典制度改正により、授与する理由をあらためて再度制定。

同年、多年にわたり水稲農作技術の向上に努力した北海道の天崎正太郎が新たな受章第1号である。

改正されてからは、毎年500人から600人が受章している。

2003年(平成15年)の栄典制度改正では、「第一線で業務に精励している者で、他の模範となるような技術や事績を有する者を対象とし、受章者数の増加を図る」こととされた。

 

         紫綬褒章(しじゅほうしょう)

      

 

学術芸術上の発明改良創作に関し事績著明なる者に授与される。

褒章条例(明治14年太政官布告第63号)の改正により、1955年(昭和30年)1月23日に制定された(昭和30年政令第7号)。

同条例1条は、紫綬褒章を「学術芸術上ノ発明改良創作ニ関シ事績著明ナル者ニ賜フモノトス」と定めている。

2002年(平成14年)の栄典改革により、「紫綬褒章については、年齢制限を撤廃し、科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術分野における優れた業績等に対して、速やかに表彰する。」とされ従来50歳以上とされていた年齢制限が撤廃されている。

例年、春(4月29日)と秋(11月3日)の2回発令され、学術、芸術、スポーツ分野の功労者に授与される。

「勲章、記章、褒章等の授与及び伝達式例」(昭和38年7月12日閣議決定)4条は、褒章について、「内閣総理大臣の命を受け、内閣府賞勲局長が所管大臣に伝達し、所管大臣が適宜受章者に伝達する。」と定める。

通例、紫綬褒章の伝達式は、東京都内のホテルなどで行なわれる。

また受章者は、伝達式にあわせて、皇居で天皇に拝謁する。

紫綬褒章の受章者には、紫色の綬(リボン)が付されたメダルと、受章の理由・受章日などが書かれた天皇名の褒状、略綬が授与される。

褒章をもって表彰されるべき者が団体であるときは、褒状が授与される

団体に対して紫綬褒章と同様の理由で授与された例としては、2006年(平成18年)のワールド・ベースボール・クラシック第1回大会で優勝した日本代表チーム(王貞治監督)が初めてである。

 

      藍綬褒章(らんじゅほ うしょう)

     

 

教育衛生慈善防疫の事業、学校病院の建設、道路河渠堤防橋梁の修築、田野の墾闢(こんぺき、開墾)、森林の栽培、水産の繁殖、農商工業の発達に関し公衆の利益を興し成績著明なる者又は公同の事務に勤勉し労効顕著なる者」に授与される。

1882年(明治15年)、灌漑用水を開通させて荒野を農地に変え村民生活の向上に貢献した大阪府の石田長蔵・久保田伊平が受章第1号、第2号で、第3号~第7号は北海道函館の常野正義・渡辺熊四郎・平田兵五郎・今井市右衛門・平塚時蔵の5人である。

戦後は毎年600人から1000人が受章している。

2003年(平成15年)の栄典制度改正では、「公衆の利益を興した者に対する藍綬褒章の選考に当たっては、他の模範となるような優れた業績が認められる者を対象とする。

また従来公同の事務とされている分野について運用の見直しを行い、勲章の対象との関係を整理する」こととされた。

 

       紺綬褒章(こんじゅほうしょう)

     

 

公益のため私財を寄附し功績顕著なる者」に授与される。

大正7年に制定。1919年(大正8年)、恩賜財団済生会へ5万円(現在の価値で1000万円相当を寄付した小野光景が受章第1号である

紺綬褒章は他の褒章のように受章機会が春秋のみに限られず、事由の発生に合わせて毎月末にまとめられ閣議で決定され発令される。

昭和55年の授与基準では、公的機関や公益法人などへの500万円以上の寄付をした個人、1000万円以上の寄付をした団体が主な対象となる。

 

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