1914年、第一次世界大戦で日本軍は、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。 ドイツ兵4700人は捕虜として送還され、日本各地にある収容所に収められる事となる。 厳しい待遇が当然な収容所の中で、奇跡の様な収容所が徳島にあった。 板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、 陸軍の上層部の意志に背いてまでも、捕虜達の人権を遵守し、寛容な待遇をさせた。 捕虜達は、パンを焼く事も、新聞を印刷する事も、楽器を演奏する事も、 さらにはビールを飲む事さえ許された。また、言語・習慣・文化の異なる地域住民の 暖かさに触れ、収容所生活の中で、生きる喜びをみいだして行く。と公式サイトからコピーできたもので、そのままストーリーを途中まで
載せちゃいましたが・・普通、戦争捕虜といえば、劣悪な環境で
強制労働と思いますよね~。ところが松江所長の収容所は、自由も守られて
地域住民との交流もあった。捕虜たちの自由を尊重するあまり
上層部に目をつけられて、経費を削減されたときも
捕虜たちの作ったお菓子やパン・ボトルシップなどを「展示会」
として公開し、住民に買ってもらったりしていたのだ。
前に見た「戦場のアリア」の日本版というべきか?
あれも第一次世界大戦の話でしたが、こういう人権を尊重した
素晴らしい捕虜収容所があったこと、松江所長という人物がいたことを
知ることができてよかったし、日本人として誇りに思います。
あれも第一次世界大戦の話でしたが、こういう人権を尊重した
素晴らしい捕虜収容所があったこと、松江所長という人物がいたことを
知ることができてよかったし、日本人として誇りに思います。
松江所長がどうして、ドイツ人を信頼し、たとえ逃亡しようとしても
厳罰に処したりしなかったのか。自身の出自に大きく関係ありました。
「会津藩」というと白虎隊のイメージが強かったのですが
明治維新の時は、女性や子供も戦ったんですね。
その分新政府ができた時の制圧は大変なもので・・・
辛い体験から、敵国であっても、祖国のために頑張ったのは同じ、
と広い心で捕虜たちを受け止めたのでした。
厳罰に処したりしなかったのか。自身の出自に大きく関係ありました。
「会津藩」というと白虎隊のイメージが強かったのですが
明治維新の時は、女性や子供も戦ったんですね。
その分新政府ができた時の制圧は大変なもので・・・
辛い体験から、敵国であっても、祖国のために頑張ったのは同じ、
と広い心で捕虜たちを受け止めたのでした。
最後に捕虜たちがお世話になった人々にと「第九」を演奏するのですが、
それが日本人が年末に「第九」を演奏するようになった始まりなんですね~!
国を超えた友情が、きっかけだったのかと思うと
とても嬉しくなりました。
それが日本人が年末に「第九」を演奏するようになった始まりなんですね~!
国を超えた友情が、きっかけだったのかと思うと
とても嬉しくなりました。
ドイツ人を憎む松江家の馬丁(平田満)・松江所長の部下を國村隼
と好きな俳優さんが出ていました。お二人ともうまい~!
阿部ちゃん(阿部寛)はずっと眉間にしわがよってましたけどね。
ああいう彼を見たのは久々かもしれません?顔こわばらなかったかな(笑)
なんといっても主演の松平健さん。この人は、コミカルな演技もいいんですよね~。
今も♪お医者さんにいきましょう~♪の宣伝が笑えますが。
スケールの大きさとちょっととぼけた味がスクリーンでも
ちょこちょこ垣間見えました。
と好きな俳優さんが出ていました。お二人ともうまい~!
阿部ちゃん(阿部寛)はずっと眉間にしわがよってましたけどね。
ああいう彼を見たのは久々かもしれません?顔こわばらなかったかな(笑)
なんといっても主演の松平健さん。この人は、コミカルな演技もいいんですよね~。
今も♪お医者さんにいきましょう~♪の宣伝が笑えますが。
スケールの大きさとちょっととぼけた味がスクリーンでも
ちょこちょこ垣間見えました。