通勤手段は軽自動車。

 

 ブルートゥースで、タブレットやスマートフォンからのネット音楽やネットラジオ(radiko

を聴きながら通勤。

 

 気分を良くしながら、落ち着いた運転ができています。

たまに、スピーカーだけ車外に持っていっての音楽鑑賞。

すごく気に入っています。

 

 

 

平成7年9月 


 勤めていた会社の出張先で、40歳にして患った大病。 はや20年程が経とうとしている。

「脳梗塞」を起こした、一人の体験者として・・・。

 


 以前、職場で気分が悪くなり早退してしまった。再発の前兆と思い不安にもなった。でも、今朝は気分も良くなり、そして帰宅後に今の想いを書こうと思った。

 

 今の想いを書けば長くなるだろう。けれど今の想いを残したく書いている。

 

 ここ1~2ヶ月、弱かった手足も除々ではあるけれど、力もついてきて気持的にも落ち着いてきた。長い20年程だった。今もまだ弱いけれど。今年1月から勤めだした職場での仕事が特に良かったようだ。また、身体も脳の働きも安定してきたようだ。

 

 出張先で脳梗塞を発症した20年程前、当初は左半身の手足がまったく動かず、助かった右手で左腕をもって動かすといった状態だった。自分の腕ではなかった。左足も動かず、ベッドから動くことすらできなかった。医者からも除々に麻痺した手足も動くようになっていくだろうとだけ・・・

 助かった右手ですら自分の名前を書く事もできなかった。(みみずがはったような字)。1日にして筆圧がなくなっていた。

 

 発症して一晩にして以前の自分と別人になったようだった。顔も違っていた。言語にも障害がでていた。見舞い来てくれた、職場の人達とも合いたくないと思った程であった。

 感情的にも思い通りにならない自分がいた。思い通りにならず、自分にイライラする日々。毎日、2個のクルミを握ったり掌で転がしたりのリハビリが続いた。

 

 発症から約1ヶ月はベッドで寝ている状態だった。処置としては再発症を防ぐ薬を飲むだけだった。よくいう「日にち薬」というが日に日に少しずつでも、自然に麻痺していた左側手足が変化していった。立ってトイレが出来た時は嬉しかった。その後、杖を使っての歩行訓練のリハビリ。
 杖をついてのままならない歩行。以前の歩き方を思い出し、ゆっくりではあったが実践する日々だった。退院するまで約3ヶ月、ほとんど車椅子での病院生活だった。そして杖を使っての退院だった。自由に歩いたり走ったり出来ていた自分を恨む自分がいた。
 
 退院してからのリハビリ。雨が降ろうが毎日毎朝歩いた。ちょうど島でいうと高見山の高さぐらいだろう。ただただ辛い毎日だった。脳も腫れたりして不安定な日々だった。

 約2年目には杖を使わず歩けるまでなっていた。社会復帰してみたが発症前の自分の身体ではなっかた。出来ていた仕事も出来なかった。単純作業しかと・・・

 やむなく仕事も辞め希望も薄れていた頃、小豆島にたどり着いた。

 縁もゆかりも無い土地だったけれど、ハローワークで簡単な作業の出来る会社を紹介してもらった。

 俗に言う「何処の馬の骨ともわからない」私を拾っていただき、某ホテルで働く事が決まった。島で新たな生活が始まった。 単純作業であっても、まだまだ辛い日々が続いた。
 
 時は流れ弱かった左半身や気持の不安定も除々に変化していった。某ホテルの会社にも感謝する気持ちは今でも残っている。不安定な自分を雇ってくれた職場。感謝にたえない。その後、自分を試したく転職もしたが、それぞれの職場も同じく感謝している思いである。

 そして、特に今の職場にはまだ短い期間ではあるけれど感謝しきれない。今の自分にあった職場であるようだ。

 

 幸いにして辛い日々の中で不安定な気持を癒してくれたのが、音楽であった。若き頃からクラシックが好きだった。でも癒してくれてはいても長く聴く事はできなかった。情緒不安定とでもいうのだろう。趣味でもあるパソコンも購入でき、やはり短時間だがたしなむ事が指や思考のリハビリとなっていた。

 不安定な行動の中で「音楽祭」等のコンサートやお祭りなど行くようにしていた。でも、終わってみれば不安定な気持もまだ残っていた。ただ、遠出の旅行は今だトラウマとなっていて行かないようになっている。

 

 周囲の人から見れば、言わなければわかってもらえない事だろう(健常者とも見えているだろう)。否、言っても理解してもらえない事だろう。目には見えない内面(精神面)の事だからいたしかたない。
 
 今、やっとジョギングがでるくらいになった。全力疾走はやろうと思っても無理な状況。身体がままならない。

 職場での朝のラジオ体操。また、適度な重量の物運び。これがリハビリとなり、自分を少しでも落ち着かせるようになったのだろう。環境といい、風景といい本当に私にあった「職場、そして小豆島」である。

 この病気を防ぐ為、よく水分もとるようになった。そして不摂生な生活も無くなった。ただ、危険因子と言われる煙草を止める事ができない。発症後、2年程は止めていたのに。この歳になるともう長くない人生、どうなってもいいという気持ちもあるからだろう。

 性格も変わってしまった。スポーツ万能で病に縁も無いと思っていた。


 でも違った。若き頃、水泳以外、武道も含めあやゆるスポーツをやっていただけに。

大事だったのはそれを今も続けているか?だった。自惚れは禁物。私だけはと・・・。
 
 スポーツの世界では上下関係は必然であった。先輩たちに鍛えられ、耐える事も覚えた。

 今になってみると鍛えられてきた事に感謝の思い。何事にも耐える事ができた。今も同様。

職場では不注意や失敗も多い。職場の方にも迷惑かける事も多々ある。自分では解っているつもりでも、まだ思うように思考が働かない。

 集中力にかけ、言語能力及び知的能力も以前とは違っている。脳の後遺症だろう。(年のせいかとも思う時がある?)


 ただ、言い訳にはしたくない自分。謝るしか手立てがない、自身の行動に我慢する日々。いずれ無くなる事を願う。

 誰でも突然起こってしまう病気「脳梗塞」。発症が若くてまだ良かったのかも? 50~60歳を過ぎてから起これば、とても辛い病気である事が想像できる経験をした一人である。

 この病に介護援助は難しい。手を貸し過ぎても駄目だし、患者はなかなか思うように身体が動かない事に苛立つばかりでつい周りにあたる。けれど、少しでも動く事が可能ならば、自分で出来る事は時間が掛かってもやっていくことだ。


 時間が掛かるだけに介護する方も苛立ち等を我慢する必要があるだろう。
 
 たまたま独り身であった事が幸いしたようで普段の生活で何でも自分がしなけれなならなかった。今はふと発症前の自分を感じる時が多くなってきた。毎日のリハビリは続く・・・。
 私以上に辛い思いでおられる方も多くいるだろう。体験者として陰ながら応援していきたい気持である。第2の人生だと思って。
まだ、書き足らないが、このあたりにしておこう。    平成29年11月