ぶん太の奮闘記

ぶん太の奮闘記

錠剤を抜くのに苦労されている方々の為に喜んでいただこうと開発したおくすりパンチを、全国にお知らせするために日々悪戦苦闘しているぶん太の日記です。

オッハー\(^o^)/! 今日の長崎は晴れの穏やかな一日になりそうです。

 

 私の投稿を読み返していたら一昨日の投稿に間違いがありました。私の母校の校長先生が作った格言で「汝の車を星に繋げ」というのを車ではなく星と書いていたようです(^-^;

 

 せっかくですからこの金谷林作先生の話を少し。我が母校西高は東高と同様、ここの校長で終わるのはほぼ名誉職で、先生が出世街道を教育委員会などをゴマすりながらやっとなれる地位です。

 

 ですから大した人格者はなかなかなれない地位なのですが、この金谷林作校長先生は本当に立派な先生でした。

 

 私が身近で尊敬すると公言できる人は二人しかいません。つる医院の鶴真佐信先生と金谷林作校長先生です。

 

 心に手を当てて思い出してみて下さい。母校の校長先生の名前を、そしてどんな先生だったかを。名前ぐらいは出てくるでしょう。しかしほとんどそこまでで授業はしないから人柄まではなかなか分からない。

 

 それが生徒総会がある度に「人生において万巻の書を読め」「清水において魯を漕ぐな」「汝の車を星に繋げ」などなど当時のバカなぶら下がりな私などにはチンプンカンプン(笑)

 

 車は星に繋げんやろう(笑) ぐらいのものでした。しかし、私が33歳から学年同窓会で約600名の同期を纏めるようになると改めて金谷先生の凄さが分かってきました。

 

 卒業して大学受験に滑った連中が予備校の入校式に暗い気持ちで臨んでいると突然「汝の車を星に繋げ」という言葉が聞こえてきてびっくりしたそうです(笑)

 

 退職後、予備校の校長になられたとのことでした(笑) しかしそのどん臭さ実直さで若者の心に突き立てた言葉以上に行動で示された姿に感動しました。

 

 64歳の時に脳梗塞で倒れ、以後四半世紀を言語障害と右半身不随の寝たきりの生活で戦い続けられました。まず左手で大きな字から書く練習を始め、最後は立派な字を書かれるまでになり、「北風の人吉田松陰」を自費出版するまでになりました。

 

 その人生の全てを若者の教育に捧げられた先生で、卒寿の時、赤いバラを花瓶に入れて病院を訪ね、「私は自分の車を星に繋げることが出来ました。」というと泣いて喜んでくださいました。

 

 画像は卒業アルバムの時と病院を訪ねた時の写真で、私が作った同窓会のトップページに上げさせてもらった写真です。一部の同期から老いさらばえた恩師を晒さなくてもとも言われましたが、後進を育てようとするその姿勢を見せるためにあえてUPしました。他人の為に、後進の為にと人生を捧げた先生への鎮魂歌として 合掌

 

 さてさて風子とは相変わらず楽しい夕食を共にしていますが、校長同様に彼女の「自分の事より他人の為に」という姿勢に強く惹かれています。仕事仲間の苦境を背負って働く姿にもうメロメロ(笑)

 

 お陰様で幸せ日数は103日に更新。目標まであと7270日(笑) さあ今週も気合を入れて戦闘開始!おとこはしごとしてなんぼ!良い一日を!