ご無沙汰してます。
皆様お元気でしょうか。
ちょこちょこと色んなことがあって、バタバタしておりました。
おそらく私は来年転勤になるか、立場が変わるかするので、色々と身辺整理を密かにやってます。
そんな中で家族のことや生徒のこと、友人のこととかで色々とありました。
まぁ、社会で生きてたら色々あるものでしょうけど。
中でもやっぱり命については答えが出ないこともありますが考え続けております。
ある子どもさん、長い入院生活を経て退院してきた翌日にあるイベントに参加。本人は意思の疎通が難しいので、どちらかというと参加させてあげたいって言う保護者の想いが強かったように思います。
色んなお子さんが懸命に生きてらっしゃいます。明日の命が保証されてない中で、保護者は何とか色んな経験をさせてあげたいと、日々奮闘されてます。その想いや努力には胸を打たれますし、脱帽させられます。
…でも、でもね、私の頭の中でモヤモヤが広がるのです。
聞いた話ですが、昔ある生徒さんが修学旅行に参加し、その直後に亡くなったことがあり、その保護者がお葬式で教員にお礼を言ったという話を聞きました。最後に皆と過ごせて良かったと。
一見美談だと思います。私も最初はそう思いました。
でも最近思うのです。
本人は本当にそれを望んでたのかなって。
自分の意思を持ち、それをはっきりと伝える手段を持つお子さんであれば、色んなことを話し合うことができるでしょう。でもその術を持たないお子さんはどうでしょうか?
本当は修学旅行がどんなものか理解するのも難しかったり、不安の方が大きかったり、それよりも家で家族とゆっくり過ごしたいって思ってた可能性はないのかなって。
確認することはできないので、良いとか悪いとか言うつもりはありませんが、やはり介助や支援が必要になればなるほど、良くも悪くも庇護欲から、本人の気持ちではなく、保護者(支援者)の気持ちで判断してしまうことが多くなるように思います。
もちろん、そうせざるを得ないことも多くあります。でも、人権はそれぞれに等しくあるはずです。
周りの友だちだってそうです。友だち皆で一緒に行けた修学旅行、良い思い出として彼らの心にいつまでも遺ると思うのは、あまりにも都合の良い解釈ではないかと思うのです。その直後に友を失い、深く傷付いてる可能性もあるかもしれないのです。教員も様々なリスクを念頭に修学旅行を企画したはずです。それは英断だったと思いますが、それでも、もっとこうしていれば…など、罪悪感は拭えないのではないでしょうか。
私としては、やっぱり、快や不快、YESやNOは伝えられる術を身につけてあげることと、保護者から離れて自分で人生を切り開いていける力を育ててあげることに、専念すべきなんだろうなと思います。
とくに答えが出ることではないのですが、すみません。長々お付き合いいただいてありがとうございます。
皆様も最期に生まれてきて良かったと思える人生を歩めるように、一緒に生きましょうね。