題名:Opera Van Gontor: Novel Kronik Dunia Pesantren (『オペラ・ファン・ゴントル――プサントレンの世界』)
著者:Amroeh Adiwijaya
出版社:PT. Gramedia Pustaka Utama (2010年)

題名:Negeri 5 Menara(『五つの塔の国』)
著者:A. Fuadi
出版社:PT. Gramedia Pustaka Utama (2009年)



インドネシアの小・中・高校は日本と同じく6・3・3制ですが、公立・私立を含めた普通校とは別にマドラサプサントレンというイスラーム学校があります。インドネシアでのマドラサはクルアーンの初歩を学ぶところで、昼間は普通校に通う子どもたちが夕方に集まって学ぶ宗教塾のようなものから、小・中学課程に相当する公教育機関となっているものまで。

一方、プサントレンはイスラーム寄宿学校で、マドラサまたは普通の小・中・高校を卒業した者が寄宿生活をしながらイスラームについて学ぶところで、イスラーム聖職者を目指す者や教養のために入学する者、また学費が無料だったり、有料でも普通校より安かったりするので、経済的理由で入学してくる者、さらに学校によっては成績が悪くて普通校に行けなかった者が入学してくる場合や、問題行動の多い子どもを矯正する目的で入学させる場合もあるようです。

ジェマア・イスラミアの精神的指導者と目されるアブ・バカル・バシルが中部ジャワのソロ近郊でプサントレンを主宰
し、その教え子の中の何人もがテロに関与した疑いを持たれていることもあって、プサントレンというとテロリストの温床か?というマイナス・イメージもぬぐい去れなくなってしまった感がありますが、なにしろムスリムが大半を占めるインドネシアですから、プサントレンの地位はまだまだ揺るぎないものだといえるでしょう。

仏教の修行道場やカトリックの修道院のように、一般人にはうかがい知れない秘境めいたところもある男の園(女性用プサントレンもあるけど)。そんなプサントレンを内側から描いたのが、今回ご紹介する二冊の小説。どちらも著者がプサントレン出身で、実体験に基づいた小説です。

この二冊の著者はいずれも東ジャワにある名門プサントレンPondok Modern Darussalam Gontor (PMDG)の出身。ついでにいうと上述のアブ・バカル・バシルもこのプサントレン出身です。

インドネシアを読む-opera

まず一冊目の “Opera Van Gontor”は、著者が小学校卒業後に60年代末から70年代前半にかけてPMDGで過ごした6年間を描いたもの。なんですが、これはもうタイトル負けでしょう。オペラとはほど遠いモノトーンな生真面目さ。おまけにUM. Pressというところから出た初版のタイトルは “Don’t Cry For Me Gontor”だったというではありませんか。かっこいいタイトルつけりゃいいってもんじゃないと思うんですが…。この小説にふさわしいタイトルは『ゴントルの思い出』。それでじゅうぶん。

小説と銘打ってあるものの、ほとんど回想録のようなものだと思われるので、主役やその他の登場人物のキャラクター作りなんてせずに、ただ思い出すまま書いてしまったのかもしれませんが、とにかく主人公があまりに面白味のない人物であるのがなによりの問題です。共産党掃討の嵐さめやらぬころに小学校を卒業して、なんの疑問もなく意気揚々とプサントレンに入り、ときどき落ち込んだりはするものの、ほとんど疑問を持つことなくまじめにまっとうに6年間修業に励み、無事卒業して故郷に帰りました。ゴントルはすばらしい学校だった。やれやれ。

それだけなのです。

むしろオペラの名にふさわしいのは二冊目の “Negeri 5 Menara”の方。こちらは80年代末から90年代初頭にかけての同じプサントレンを舞台にした学園小説ですが、生き生きとしていてだんぜんおもしろい。

男の園の物語というと、男色の方につい関心がいってしまうものですが、それについては “5 Menara”ではいっさい触れられておらず、かえって “Opera”の方で少し出てきます。でも主人公は、ソドムの逸話をしっかりと胸に刻んで誘惑には見向きもしない。ああ、つまらない(笑)。

出版年からいうと、”Opera”の初版はともかく、Gramedia Pustaka Utamaからこの改訂版が出たのは”5 Menara”よりも後なんですよね。同じ出版社から同じようなテーマの小説で、しかも先行作品よりもつまらないものを後から出すなんて罪にも等しい気がするのですが…。

“Opera”の方、表紙はなかなかいいんですけどねえ。

インドネシアを読む-menara

さて、二冊目の “Negeri 5 Menara”。

著者は雑誌 “Tempo”などでのジャーナリストとしての経験が長いだけあって、テンポのよい文章でぐいぐい読ませます。それぞれのエピソードもおもしろく、プサントレンというちょっと特殊な空間で暮らしながらも、やっぱり普通の男の子たちの姿が描かれていきます。

西スマトラの田舎で生まれ育ち、中学校に相当するマドラサを卒業した後は普通の公立高校に入って、それから
バンドゥン工科大学に進み、ハビビのような工学博士になる…当時の少年としては非常にストレートでスタンダードな夢を持っていた主人公アリフは、普通高校ではなくプサントレンに入ってほしいという母の強い要望に愕然とします。

数日間部屋にこもってストライキを試みていたときに、偶然舞い込んできたカイロに住む叔父からの手紙。そこに
は、東ジャワのゴントルというプサントレン出身の人と何人もカイロで知り合ったが、どの人も非常に優秀ですばらしい人だ、もし進学先が決まっていないなら、そこに進学することを考えてもよいのではないか、と書かれていました。それを読んだアリフは、どうせプサントレンに入らねばならないのなら、地元校ではなくて東ジャワのゴントルに入ってやると、その場でなかばやけくそに決断し、バスで3日かけて東ジャワへと向かったのでした。


無事入試に合格したアリフたちを迎えたのは、ゴントルを主宰するカリスマ的キアイ、アミン・ライスをはじめとする熱血教師たち。その熱弁に感動し、通称「タイソン」率いる保安部(禅寺の堂行みたいなもの)の取り締まりにびくつき、プサントレンの通用語である英語とアラビア語の習得に四苦八苦し、早朝の祈祷中などに居眠りをして見回りの先輩にサジャダ(祈祷用敷物)でどつかれる日々(これも座禅中に警策で打たれるのと似ていますね)。

休日に外出許可を取って町へ行けば、わざとゆっくり女子プサントレンの前を通ってみたり、海外留学から帰任した教師に美人の娘がいると聞けば、なんとかその姿を見ようと遠回りをして教師住宅区をうろついたり、その娘と話を交わしたり写真をいっしょに撮ったりできるか賭けをしたり、サッカーやバドミントンで盛り上がったり、最終学年の一大イベント “Class Six Show”で観客をあっといわせる演出をして称賛をあびたり、忙しくも楽しく充実した日々をおくり、プサントレンに入ってよかったと思いながらも、マドラサでの同級生で公立高校に進んだ親友から手紙が来るたび
に、心が揺れたり。

ハリー・ポッターの前半や岡野玲子の名作漫画『ファンシイダンス』のようなストレートで明るい全寮制学園ドラマ
です。岡野作品のような強烈なラディカルさはないものの。

学校を舞台とし、田舎の経済的にあまり恵まれない家庭で育った少年が苦学して夢をかなえていくという筋は、数年前に空前のベストセラーとなったアンドレア・ヒラタ“Laskar Pelangi” シリーズを思わせます。

どちらも著者の実体験に基づいた小説なので、一概に “5 Menara”の方を二番煎じということはできませんが、
“Laskar Pelangi”の方では、虹が出ると夢中で木に登ってそれを眺めた仲間たちが「プランギ(虹)軍団」と呼ばれ、
“5 Menara”ではモスクの塔の下をたまり場にしていた主人公たち6人組が「塔の主」と呼ばれるようになるところや、仲間の中でも飛びぬけて優秀なひとりが卒業を目前としながらも家庭の事情で退学せざるをえなくなるところなど、やはりモチーフが似てきてしまいます。“5 Menara”は2009年の発売以来、今もベストセラーのコーナーに並ぶロングセラーとなっているようですが、 “Laskar Pelangi”ほど大きな話題とならなかったのは、そのせいもあったかもしれません。文章やエピソードの積み重ね方などは、 “5 Menara”の方がむしろよくこなれていてうまいと思うんです
けど。

この “Negeri 5 Menara”は三部作の第一作に当たるそうで、この1月23日に第二作 “Ranah 3 Warna”が発売されます。プサントレンを出た後、大学進学を目指すところから物語が始まるようです。

おそらく第三作では、主人公は夢かなってアメリカに留学し、さらにジャーナリストとして滞米中に9.11テロに遭遇するところまでいくのではないかと思います。 “5 Menara”の著者は、ワシントンDCから9.11テロをインドネシアに向けて報道したジャーナリストなのです。在米東南アジア系ムスリム(しかもプサントレン出身)の目から見た9.11を読んでみたいと期待が高まります。

余談ながら、1月26日の東京新聞、中日新聞夕刊文化面「世界の文学」欄に、インドネシア文学について一筆書かせていただく予定です。1年ほど前に書いたときはDeeの携帯小説などを取り上げましたが、今回のネタはこのプサントレンものでいこうかと思っています。東京方面にお住まいの方、お暇でしたら読んでみてください。