題名:MUHAMMAD: Lelaki Penggenggam Hujan(『ムハンマド―――雨をつかむ男』)
著者:Tasaro GK
出版社:PT Bentang Pustaka, Yogyakarta
発行年:2010年 3月


$インドネシアを読む-muhammad


イスラーム圏ではイドゥル・フィトリを迎えました。それにちなんで、イスラームの教祖ムハンマドの評伝小説を。

献辞のところに、この小説を執筆し始めたころ、著者の母が「危険だ」と言って案じたことが書かれています。

サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』事件が思い出されるように、ムハンマドを描くことにはそれなりのリスクが伴うのでしょう。たとえインドネシアのようなムスリムが大勢を占める国の、自身もまっとうなムスリムである著者の手になるものであっても。

でもこの小説なら、不敬であるとか冒涜であるとか、その手の批判はおそらく出なかったはずです。敬虔なるムスリムの視点から語られた小説で、ムハンマドは三人称ではなく、”Engkau” という二人称で語られ、”Wahai Lelaki
Pemilik Kemenangan Nyata” (おお、明白なる勝利を手にする男よ)だとか “Wahai, Lelaki yang Senantiasa
Menyebarkan Kedamaian”(おお、常に平和を広める男よ)だとかいった賛辞が地の文の中にもちりばめられています。

評伝というからには、もうちょっとクールに客観的にムハンマドのカリスマ性などを描いたものを読みたかったのに、
というのが正直な感想ですが…。しかし、こういう視点のとり方は、過度な批判を回避するためには、おおいに有効なのでしょう。

冒頭では、ペルシアのイスファハーンの町はずれ、チベットの扎陵湖岸、エジプトの砂漠、インドのナルマダ渓谷、
スマトラ島北部のバルスの港で、まったくつながりのない人々がそれぞれ預言者の到来を予感する場面が描かれます。こういう予兆に満ちた始まりは、プラムディヤ・アナンタ・トゥールの歴史小説 “Arus Balik”(『逆流』)を思わせますが、ちょっと『未知との遭遇』ぽくて、なかなか悪くありません。

それからムハンマドがマッカを逃れてヤスリブ(後のメディナ)に移るヒジュラ(聖遷)の場面になるわけですが、
その後、ムハンマドの少年時代に戻ったり、メディナのイスラーム軍とマッカとの攻防戦の話になったり、マッカで布教を始めたころに飛んだりと時代が前後し、「ああー、ちょっと待ってョ。いったいこんなに時代を前後させる必要がどこにあるんだ?」と文句のひとつも言いたくなってしまいます(笑)。

さらに、この小説のもうひとつの柱であるペルシアの高名な詩人にしてゾロアスター教の聖職者カスヴァの物語が
絡んできて、今どの時代のどの年代にいるのか、ちょっととりとめのない印象。

とはいえ、このカスヴァを巡る物語は、ムハンマドに関するエピソードよりも精彩があっておもしろいです。

カスヴァは時のペルシア王ホスローの覚えめでたい若者だったのですが、王の前で新たなる預言者の出現とゾロアスター教とペルシア王国の危機を語ったがために、国を追われる身となります。以前から文通をしていたシリアに住むキリスト教聖職者やチベットの高僧の手紙から、さまざまな経典の中で予言されていた預言者の到来を確信し、
その預言者に会いにアラブへ行きたいと望みながらも、運命に翻弄されるままにインドからチベットへと長大な回り道をすることに。

巻末にカスヴァのたどった道筋の地図が載っていて、それによると、チベットから中国へ、そしてカスピ海を渡って
シリアへ出て、ついにはメディナへ至ることになっているのですが、この小説ではなぜかチベットで終わってしまいます。え? これで終わり? という感じで。

最後には、文通相手だったチベットの高僧が実は実在しないのではないかという疑いが生じ、そしておそらくはシリアのキリスト教聖職者の実在も疑わしいものとなるかと思われるのに、それでもなおその高僧がいるはずの寺院を目指して歩き出すという場面で終わるので、そうやって余韻を残すという意図だったのかもしれませんが、どうせなら
旅の最後まで書いてほしかったなあと思います。

そうやってカスヴァの物語を尻切れトンボで放り出した後の締めは、ムハンマド率いるムスリム軍のマッカへの無血入城(ほんとは多少小競り合いがあった)の場面。宿願のメッカ帰還を果たしたムハンマドの手で、カアバ神殿
安置されていた多数の神像がこぼたれます。

これはもちろん大いなる勝利として感動的に描かれ、現在にいたるまでムスリムとっては輝かしい史実なのでしょうが、やはりイスラームの根本には「闘い、征服し、他を排除する」という姿勢があるのではないかという印象を抱いてしまうのは、筆者が部外者だからでしょうか。

ひとつ、なるほどなあと思ったのは、それまでムハンマドを迫害していたウマールが入信する場面。すでにムスリマとなっていた妹の家でウマールはクルアーンの断片を読み、その響きの美しさに心を揺さぶられ、それがきっかけと
なって入信することになります。

今でもクルアーンはアラビア語で朗誦するのが基本だということですが、その音楽的効果は非常に重要な役割を
果たしているのでしょう。仏教における声明や、キリスト教における教会音楽のように。

思えば、ムハンマド自身がたいへんな美声の持ち主だったのかもしれません。もしもムハンマドが今の世の生きていて歌手にでもなっていたら、その声と奇矯な言動とで、それこそカリスマ的スーパースターにだってなれていたかも。

そういうポップなムハンマド像を見てみたい気もしますが、おそらく無理な話でしょう。まちがっても聖☆おにいさんにムハンマドが登場することはないでしょうし。ブッダとイエスがいる天界になら、ムハンマドがいたっておかしくはないはずなんですけどね。