題 名:Manjali dan Cakrabirawa(『マンジャリとチャクラビラワ』)
著 者:Ayu Utami
出版社:KPG (Kepustakaan Populer Gramedia), Jakarta
発行年:2010年6月


$インドネシアを読む-manjali

日本でも邦訳サマンが出版されているアユ・ウタミの最新小説です。

表紙の題名の上に “Seri Bilangan Fu”(『フー数』シリーズ)と書いてあるので、2008年発表の長篇小説
“Bilangan Fu”(『フー数』)の続編らしい。

続編? 前作は完結していたし、そもそも主人公のひとりである青年パラン・ジャティは殺されたのでは…?

読んでみると、続編というより番外編でした。

$インドネシアを読む-bilangan Fu

前作 “Bilangan Fu” は、大学の講義はそっちのけでロック・クライミングにあけくれる青年ユダの一人称で語られます。

ジャワ島南岸の岩山でクライミング中に、ユダは両手両足にそれぞれ六本の指を持つ美青年パラン・ジャティと知り合い、次第に親しくなっていきます。パラン・ジャティは、捨て子ながらも、裕福でその地方の文化の守護者であり村の精神的支柱として畏敬される人物に引き取られ、謎の多い広壮な屋敷で、一見何不自由なく育てられますが、実は12歳になったときから、養父の設立した奇形サーカスの一員として、一種異様な世界にも身を置いてきたのでした。

岩石採掘のための乱開発によって危機にさらされた岩山を守り、地方の伝統文化と民間信仰を守ろうと奔走するパラン・ジャティと、一神教の絶対性を主張し、ことあるごとにパラン・ジャティの活動を妨害しようとする村の青年クプクプとその一派。

でも、この二人の対立が物語の核をなしているわけではありません。パラン・ジャティが考えた新しい信仰形態「ネオ・ジャヴァニズム」の物語であり、さまざまな謎をたたえてジャワ島南部に龍の背骨のように横たわる岩山の物語であり、その岩山からユダが啓示のようにして受け取った神秘数Fuをめぐる物語であり、季節が一巡りする間に迎える満月の数でもありパラン・ジャティの指の数でもある12という数と、その後に来る0でもあり1でもある神秘数Huをめぐる物語でもあるのです。

少し長くなりましたが、以上が “Bilangan Fu”。

その番外編にあたる “Manjali dan Cakrabirawa” は、ユダの彼女マルジャの視点から語られます。

大学の休みの間、ユダとマルジャはパラン・ジャティの故郷の村に遊びに来ていましたが、ユダは軍隊のクライミング訓練の指導に加わるため先に帰り、マルジャはパラン・ジャティとフランス人考古学者とともに、発見されたばかりの古代神殿跡の調査に赴きます。

11世紀に東部ジャワを支配したアイルランガ王の時代に悪をなした伝説の魔女チャルワナラン(チャロン・アランまたはチャロナラン。バリではランダ)の墓ではないかと思われるこの神殿で発見されたシヴァ神像は、「シヴァ・バーイラワ」または「チャクラ・チャクラ」と呼ばれるものでした。

それを聞いてマルジャは思わず「チャクラビラワと関係があるの?」と口走ります。とたんに凍りつくまわりの空気……。

「チャクラビラワ」とは、6名の高級将校を殺害し、1965年の政変の端緒を開いた大統領親衛隊の部隊名。クーデターを鎮圧して政権を握ったスハルト支配下で、共産党とチャクラビラワは悪の代名詞として扱われるようになりました。スハルト失脚後も、65年の政変後に吹き荒れた共産党撲滅を標榜した大量殺戮の傷痕は癒えず、チャクラビラワという名に対するタブー視も消えていなかったのです。


チャルワナラン伝説や65年の政変とその後の共産党掃討などを巡る歴史・伝承解釈の問題とともに、この物語の軸をなすのは、次第にパラン・ジャティに惹かれていくマルジャの心の動きです。

私がこれまでに読んだインドネシアの男性作家の手になる恋愛描写では、「こんな女いないって」と言いたくなるようなものが多かったのですが、そこはさすがインドネシア女性作家の雄アユ・ウタミ。せつない心の揺れの描写にかけては逸品です。

後回しになってしまいましたが、なぜ続編でなく番外編かというと、前作ではパラン・ジャティが殺害され、それから数年を経て、ユダが一連の事件を回想し、当時の状況を調べ直して綴った手記というスタイルを取っており、つまり話は完結してしまっているのです。

この “Manjali dan Cakrabirawa” は、前作の出来事と同時期にあった一エピソードをマルジャの視点から語った
もの。同じエピソードが前作の中にもちらっと出てきていれば、もっとおもしろかったと思うのですが、残念ながら出てきません。前作を書いたときには、シリーズ化する構想はなかったのでしょう。

ちなみにこの本の題名の “Manjali” は、魔女チャルワナランの娘の名であり、主人公マルジャのセカンド・ネームでもあります。これは、偶然の連鎖をたどって、秘密と神秘と謎を追う物語でもあるのです。