高架下を歩くと、車輪が線路を叩く音がする。
秋の空は底抜けに青くてまるで巨大なスクリーンみたい。
僕はたゆたゆと歩いていく。
三軒茶屋→下北沢→代々木上原へと細い通りを伝って。

代々木上原の駅で待ち合わせた彼女の笑顔は久しぶりで、
あの日とあまり変わらなくて。
僕も笑顔を返す。
できる限り、あの日と変わらないような。

当時お気に入りだったカフェ。
エメラルドグリーンのコーヒーカップ越しに交わす会話。
憧れて真似した話しかたや口ぐせ、しぐさ。
すぐそばにあるのに届かない。
今朝見た夢の続きを見ているような。

僕たちはカフェを出てならんで、たゆたゆと歩いていく。
午後三時を過ぎても、空は高い。
彼女の歩く早さに合わせて歩く。
大きな道沿いに不思議な建物が映る。
宮殿のような、教会のような。

東京モスクと呼ばれるその建物は、
イスラム教の礼拝堂として建てられたものだけれど、
イスラム教徒以外でも中を見学することができる。

入り口から覗くと礼拝堂の中で、
トルコ人の男の人2人がメッカの方を向いて、熱心に祈りを捧げている。
僕たちは靴を脱ぎ、彼女は頭に布を巻いて、礼拝堂へと進む。

中は思ったよりも広くて、
静謐な気持ちのよい空気が流れていて、背中がしゃんとする。
ステンドグラスがキラキラと礼拝堂の中に厳かに光を落とす。
僕たちは祈ることはせず、その光をただ見つめている。
見逃さないようにじっと。

モスクを出て僕たちは下北沢までの道をまた、たゆたゆと歩く。
昼下がりの空気にも秋の気配が感じられて少しもの悲しい。

「そういえば、なんでモスクに来たかったの?」

僕は彼女の横顔を見つめる。

彼女は考えながら話すときのくせで、45度上の虚ろな部分を見つめる。
ほほに落ちる睫の影。

「私の友達でイスラム教を信仰している子がいるんだけれど、
神様に祈るどんな気持ちなのって聞いたの。」

「そしたら、永遠に返事のこない恋人に、
手紙を書く気持ちだよって、優しい顔で笑って。
すごく納得したのを覚えていて。」

「だから来てみたかったんだ。」

彼女の笑顔も同じくらい優しい。
僕にもその敬虔さが少しだけ分かる気がして、
黙って彼女の言葉を心のなかで反芻する。

誰かのために祈るように。
2006年の3月、オレはみんなから1年遅れで大学を卒業した。
そして「学生」という肩書を失い、
めでたく「無職」という落伍者の烙印を肩に押された。

オレは詩人になるという夢を逃げ場にして就職活動をしなかった。
だからまあなるべくして無職になったという訳だ。

それで詩は書いてるのかというと、
詩はおろか文字すら書いてはいなかった。
代わりに酒を呑んだ。
根拠はないが呑めば何かが書ける気がしたので浴びるように呑んだ。

その頃のオレの一日のスケジュールは、
昼過ぎまで寝て、起きて風呂に入りながら煙草を吸って、
風呂を出て、酒を呑み、ハリウッドの古い映画を観て、酒を呑み、
仕事から帰ってくるガールフレンドのために
料理をしながら酒を呑み、
帰ってきたガールフレンドと一緒に酒を呑んで食事をして、
ベッドに入って眠る、その前に酒を呑む、とこんな感じだった。

家からは極力出ないようにしていたが
外に出掛けなければならない用事も幾つかあった。

生活費を稼ぐ為に日雇いのバイトに出かけたり、
DVDをレンタルショップに借りに行ったり返しに行ったり、
図書館に本を借りに行ったり、
中古レコードを買いに行ったり、
何人かの数少ない友人に会う為だったり、月に何度か外出した。

親からの仕送りは卒業と同時に止まり、
家賃と光熱費をガールフレンドが支払い、
食事代と酒代をオレが払う事になった。

彼女も最初はそれで納得してくれたのだが
いざ始まってみると自分が働いているのに
オレが一日中何もせずにゴロゴロしている事に腹を立てて
週に7回くらい喧嘩した。

ガールフレンドはオレより一年早く卒業して病院の事務をしていた。
就職してから彼女は仕事の愚痴以外話さなくなった。
昔のように映画や音楽の話や下らない戯れ事や
オレ達の将来について夜遅くまで語り合う事はなくなった。

オレがそういう話をすると
「あなたと違って私は明日も朝早くから仕事なのよ!」
とヒステリックに叫び、物を投げつけられた。
だからなるべく自分の話をしないで彼女の話をただ大人しく聞いた。

ある日、彼女は帰ってくるといきなりオレに向かって金切り声を上げた。

「あなたは自分が詩人のつもりかもしれないけど、
一篇の詩だって書いた事ないじゃない!
私がこんな辛い思いをして働いているのに
毎日昼まで寝て酒を呑んでいい気なもんよ!

ねえ?
聞いてるの?

詩を書かないなら働いてちゃんと生活費を払うか、
さもなければ此処から出て行くかどちらか選びなさいよ!
ねえ!」

オレはその問いには答えなかった。
彼女の癇癪はいつもの事だったし
「白痴」を読んでいる最中でそれどころではなかったのだ。
ムイシュキン公爵の美しい心が
深い奥底にあるドアをノックし続けていて目が離せなかった。

だからソファーに座ってテーブルに頬杖をついて本を読み続けた。
突然、右の側頭部に鈍い衝撃と痛みを受けて
オレはソファーから転げ落ちた。

それから何発もサッカーボールのように蹴られた。
オレは後頭部と顔面を両腕で守って嵐が去るのを待った。

暫くすると蹴りが止んだので
恐る恐るガードを解いてゆっくりと立ち上がり、
彼女と目を合わせずに無言でキッチンに行き
その日の晩飯であるサーモンのバター焼きを
レンジで温め直してトマトサラダと冷えたビールを
冷蔵庫から取り出してテーブルに並べた。

食事の準備が済むと彼女はソファーに乱暴に座り無言で食べ始めた。
目にはうっすらと涙を浮かべていた。

オレはレコードをかけた。
ロバート・ワイアットの『Old Rottenhat』だ。
どこか悲しくて、でも優しい音だった。

それから彼女と並んでソファーに腰掛けて
同じグラスでビールを飲み、本の続きを読んだ。

暫くすると眠くなったので彼女と一緒にベッドに潜った。
彼女はオレを抱きしめて頭を優しく撫でてくれた。
そして耳元で「ごめんね。」と囁いた。
オレは返事をする代わりに彼女の長い髪を指でなぞった。
彼女の体はとても暖かくて心地良かった。

ほとんど鳴らない携帯電話には月に2、3回着信のベルが鳴った。
間違い電話か友達からだった。

両手で数えられる程しかいない貴重な友人達は全員働いていた。
彼等は日々忙しく動き回る。
ある日ぽっかり用事がなくなるといつでも暇なオレを思い出す。
そしてなんとなく電話をかける。

オレは大体、誘いに応じた。
なぜなら酒を奢ってくれるからだ。
タダ酒ほど美味いものはない。

友人達はいつでも自分の話をしたがった。
大抵は仕事の話だ。
これだけ大きな金を動かしただの、
これだけ大きな事をやっただの、
上司がクソだの、
一緒に働いてる女の子がキュートだの、
まあそんな話だ。

みんな判を押したように同じ話をした。
オレはぼんやり話を聞いて相槌を打ち、酒を飲んだ。

偶に彼らは思い出したように「最近どうだい?」とオレに聞く。
オレは「ぼちぼちだね。」と答える。
彼らは満足そうに頷く。
そしてまた自分の話をし始める。

これだけ大きな金を動かしただの、
これだけ大きな事をやっただの、
上司がクソだの、
一緒に働いてる女の子がキュートだの、
まあそんな話。

オレはぼんやり話を聞いて相槌を打ち、酒を飲む。

仕送りが止まってしまったので
食費と呑み代の為に仕方なくバイトをした。

単純で頭を使わなくてラクな日雇いのバイト。
内容は何かのイベントの設営、
何かのイベントの運営、
何かのイベントの撤去と大体そんな感じだった。
結構いい稼ぎになったので
週1回働けば一ヶ月の食費と呑み代、
中古のレコードを買っても余るくらいの金になった。

給料がバイト終了後に直接手渡しで貰えるのも魅力の一つだった。
給料を貰った日はガールフレンドに
ハーゲンダッツを買ってあげる事にしていたので
彼女もその日だけは何も言わずニコニコしていた。

まあ、次の日はいつものように怒鳴られたり殴られたりするんだけれど。

図書館にもよく行くようになった。
本を読みたいとは特に思わなかったが
タダで時間を潰す方法が他に思いつかなかった。

オレはその頃(今でもそうだが)古臭い本ばかり読んでいた。
18、19世紀のフランス文学とロシア文学をよく借りて読んだ。
俗にいう名著というヤツだがどの本も最近借りられた形跡はなかった。
きっとみんな本を読む暇もないくらい忙しいのだろう。

オレは暇だからそんな本達と共に時間を過ごした。
別にそれを読んでも頭がよくなる訳でも
創作意欲が湧く訳でもなかったし
それを期待している訳でもなかった。

ただ暇だったから読んだ。
そして本は誰にも読まれなくて暇だったからオレに読まれた。
それだけの話だ。

オレは観る映画も相変わらず古かった。
昔はガールフレンドの影響で
モノクロのフランス映画ばかり観ていたけれど
最近ではオールド・ハリウッドがお気に入りだった。
ジョン・フォードやハワード・ホークス、
エルンスト・ルビッチにジョージ・キューカー、
それからフリッツ・ラング……

彼らの撮ったフィルムはもう何十年も経っているのに
俳優は生き生きして美しく、ストーリーも最高に楽しかった。

一度なんかのめり込み過ぎて銜えていた煙草を忘れて
唇の端を火傷したくらいだ。

そんな風にしてオレは毎日を過ごしていた。
漠然とした不安を酒で薄めてやり過ごし自分の殻に閉じ籠って安心していた。

つまりオレは臆病者だったのだ。

2007年の3月で仕事を始めてから半年が経った。
給料は安いし 休みも少ないし 別に楽しい訳でもないけれどオレは仕事を続けていた。

会社は様々な事業に手を広げていた。
飲食、教育、出版、不動産、旅行・・・・・・・
皆が思いつく業種には全て手を出していた。

オレが入社して配属されたのは
会社が経営する英会話スクールの運営と営業だった。

入社してすぐ都心の大きなスクールで三日間研修を受けた後、
新規オープンした店舗を一つ任される事になった。
新人がいきなり一つの店舗を任されるなんて驚きだったが、
社長がアレだったからオレは妙に納得してしまった。

東京と埼玉の県境にあるその店舗には
オレと「先生」と呼ばれている外国人達しかいなかった。
「先生」達は教える特別な資格なんて誰一人持っていなかった。

大体の「先生」は暇を持て余して日本に来ているか
日本人の女とヤりたいから来ているかのどちらかだった。

そんな奴らだから仕事に対して熱意を持っている奴なんて一人もいなくて
同じく仕事に熱意のないオレは
彼らと一緒に休憩時間や空き時間にスタッフルームで酒を飲んだ。

「先生」達と飲むと彼らはどの生徒と寝たか、
何人の生徒と寝たかをを自慢げに教えてくれた。
興味がないので愛想笑いを浮かべていつもテキトーに聞き流していたが。

仕事の内容はというと
生徒のスケジュールを組んだり、
来客に対して入学を促したり、
受付をしたり、
店舗を掃除したり、
BGMを換えたり、
まあそんなトコだ。

BGMを考える以外頭を使わないところが何よりよかった。

オレが任された店舗はオープンしたてで生徒も少ない上に
来客も殆ど来なくて暇だったからBGMにはドアーズやピンクフロイドをかけていた。
もちろん誰も文句は言われなかった。
スクールのオープンは午後からだったし生徒も少ないから残業もなかった。
仕事中に酒も呑めるしオレとしては悪い条件じゃなかった。

ある日いつものようにBGMのドアーズを聴きながら
ウイスキーを飲んで『失われた時を求めて』を読んでいると
『先生』のボブがオレに話かけてきた。

ボブは女好きの黒人で見た目はかなりタフだった。
ヤツの話題は常に女の事だった。
レッスン中もよく生徒を口説いていた。

オレはその日二日酔い気味で機嫌が悪かった。
誰とも話したくなかった。
迎え酒にウイスキーをゆっくり飲み
静かにこの退屈な本を読んで一日を終わらせたかった。

だがボブはやたらとテンションが高かった。
目付きもちょっとおかしかったからクスリでもやっていたのかも知れない。

「おい、昨日ヤッた女は最高だったぜ!
最高のビッチだよ!!
この前トミーに紹介して貰ったんだがマジヤバイんだ!!
あいつは誰のでもくわえこむから今度お前にも紹介してやるよ!!」

また女の話か。
ため息を吐いて本を閉じ、ウイスキーを一気に飲んでオレはボブに微笑んだ。

「遠慮しておくよ、ボブ。
オレは誰とでも寝るビッチなんて興味ないし、
ましてやお前みたいに女とヤる事しか頭にないクソ野郎と
兄弟になるなんてまっぴらごめんだからな。」

オレは一息にそう言って笑顔のまま右手の中指を立てた。

別にボブの事が嫌いな訳ではないが
二日酔いで機嫌が悪かったし、いい加減その手の話にうんざりしていたのだ。

最初、ボブはアホみたいな顔でポカンとしていたが
黒い肌がみるみる紅潮して怒りを称えた目でオレを睨みつけた。
オレは反射的にテーブルの上にあったウイスキーの角瓶を左手で握り締めた。

ボブは今まで聞いた事のない低い声で
「殺してやる・・・」
と言った。

オレはウイスキーの角瓶を強く握り締めて
「やってみろ、クソ野郎!」
と言った。

ボブとオレの距離は50cm程度。
オレはボブの拳より早くウイスキーの角瓶をヤツの頭に打ち込む自信があった。


ボブの頭に角瓶を打ちつける。
瓶が派手に割れて血だらけでのた打ち回るボブ。
オレは
「ウイスキーでよかったな。消毒する必要がない。」
と言って笑い、棚の上にストックしてあるウイスキーを取りに行く。

そこまで鮮明にイメージできた。
イメージが大切だ。
根拠はいらない、イメージがしっかりしていれば必ずうまくいく。
自分に言い聞かせる。

暫く睨み合いが続いた。
が、突然間の抜けたチャイムが鳴った。
レッスン開始の合図だ。
レッスンに遅刻すると『先生』のペナルティになる。
ボブは憎々しげな表情で
「クソ野郎!」
と吐き捨ててスタッフルームのドアを乱暴に開けて部屋を出て行った。

オレはドアを閉めてウィスキーの瓶に口をつけて直接飲んだ。
興奮からか恐怖からか小さく手が震えていた。
それ以降オレとボブは一言も口を聞く事はなかった。

オレは彼女と同棲を続けていた。
彼女に対して好きとか嫌いとかはもうなくて
惰性だけでダラダラと関係を引きずっていた。

就職してから家賃の半分と光熱費を払うようになった。
お陰で彼女と喧嘩する事はなくなった。
でも会話する事もなくなった。

別々に仕事から帰って別々に食事をして別々にベッドに入って別々に起きて
別々の仕事に行く………そうやって毎日がただ過ぎていった。

オレは詩人になるのを諦めた訳じゃなかった。
諦めるどころか詩人になりたいという思いは日に日に強くなっていた。

『今はこんなクソみたいな仕事をしているが
詩人になればオレの人生は全て変わるはずだ!』
と強く信じていた。

とは言っても相変わらず詩は書かないで酒ばかり飲んでいたけれど。


5月も終わりに近付いたある日、いつものようにスクールに行くと上司からFAXが来ていた。
オレへの異動辞令だった。
今度は都心の大きなスクールのマネージメント業務をしろと書いてあった。

大きいスクールは朝から営業している。
何人かの社員も常駐している。
BGMはクラシックだ。
生徒の数も多いから残業も沢山あるだろう。

とりあえずいつものようにスクールをオープンする準備をしてから
スタッフルームに行きウィスキーを水で薄めて呑んだ。
『先生』が来たから挨拶代わりにウィスキーを勧めて一緒にもう一杯呑んだ。
ストレートで飲んで二人で笑った。
ボブはオレと目を合わせずに携帯メールを打っていた。

最初の生徒が来る時間になったから受付に行って生徒を出迎えた。
レッスン開始のチャイムが鳴って
『先生』が教室に行くのを見届けてからスタッフルームに戻り、
煙草を立て続けに3本吸った。

それから辞表願いを書いて上司に宛ててそれをFAXで流してウィスキーを煽り、
煙草を2本同時に銜えてゆっくり吸った。

家に帰るとガールフレンドは珍しく起きていて
ソファーに座ってビールを呑んでいた。

オレを横目でちらりと見ると無言で呑んでいたビールを差し出す。
オレはそれを受け取って一息に呑み干す。

「会社を辞める事にした。」
「そう。」

無感情な声。
彼女は立ち上がってキッチンに新しいビールを取りに行く。

オレはスーツ姿のままソファーに腰掛ける。
彼女は立ったままオレに缶ビールを渡して優しく微笑んだ。

オレはそれを受け取って微笑み返す。
そういえば久しぶりに彼女の笑顔を見た気がした。
彼女の笑顔だけで幸福な気持ちになっていたあの頃を思い出す。

仕事を辞めればまたあの頃みたいに戻れるだろうか。
彼女を見上げながらそんな事をぼんやり考えてみる。

彼女もオレをじっと見つめていたが
目を逸らして何かを決心したかのように一人頷く。

「私、ここを出ようと思うの。」

鼓動が加速する。
喉がカラカラに渇いて唾を飲み込む。
オレは、動揺している。

「そうか。」
「好きな人がいるのよ。」

その言葉を聞いて、大きく息を吸って、吐く。

「ごめんね。」

彼女はオレの前に立ったまま目を伏せる。
オレは無言で頭を横に振った。

それは仕方のない事だ。
謝る事はない。

「ごめんね。」

俯いた彼女が繰り返したその言葉は擦れていて
なんだか切なくてオレはただただビールを呑み続けた。

3週間後、オレはめでたく無職になった。

無職になったその夜、
彼女が出ていったがらんとした部屋で
オレは一人ウイスキーを呑んでお気に入りの映画をぼんやり観ていた。

何もかもが最初に戻った。
オレの手には結局何も残らなかった。

誰かに抱きしめて欲しいと思ったけれど誰もいなかった。
泣きたい気分だったけれどうまく泣けなかった。

画面では女に裏切られたバカな男が
顔にペンキを塗り頭にダイナマイトを巻いていた。
オレもそんな気分だったが
あいにく家にはペンキもダイナマイトもないからやめておいた。

映画が終わったのでTVを消してシャワーを浴びて歯を磨き、
冷たいベッドに潜り込み目を閉じた。
明日も続くであろうこの人生にうんざりしながら。
ロバート・アルトマンが死んだ。
そのニュースを聞いた時、僕の街は雨が降っていた。

その日の夜、僕は友人と酒を飲みながらアルトマンの話をしていた。
外はまだ雨が降り続いてた。

僕達はくたばり損ないのハリウッド映画と
最後まで闘い続けた彼を称え、杯を重ねた。

初めてアルトマンの映画を観たのは高校生の時だった。
あの頃も、今も、僕はあまり変わっていない。

でも、アルトマンは長い眠りについた。
その事実は変わらない僕とそしてこの夜と共にある訳で。

「そういえば、」
友人は自分の吐いた紫煙を見詰めながら呟く。
「高校時代言ってた台詞、今でも信じてるの?」

プレイバック→台詞1

「『自分を愛さずに他人を愛すことは出来ない』なんて大嘘だ
自分を愛せずとも愛しい人と共存しようと強く願う心こそ
本当の美しさだと俺は思う」

「ああ、あれか。」
僕も虚空を見詰める。

あれは、誰の台詞だ?
僕の台詞じゃない事だけは確かだ。

兎角、もうどうでも良い事だ。
僕は曖昧に微笑んだ。

友人も僕を見て微笑んだ。
お互い時間の優しさだけは受け入れられるようになったみたいだ。

店を出ると雨は上がっていた。
僕達は何も言葉を交さず歩いていた。

道に散らばった雨と湿ったコンクリートの匂い。
悪くないな、僕は一人語知た。

そうだね。
友人は俯いたままでそう応えた。

その後僕達はまた黙りこくって
三叉路の前で手を振って無言で別れた。

プレイバック→台詞2

「全ての言葉なんて嘘っぱちだ 
でも嘘だからこそ信じようと思えるんだよ」

これは、誰の台詞だっけ。