こんばんわニコニコ


今回の記事はちょっとハードな内容になっていますので、気分を悪くされたら申し訳ありません。
ゆえに【閲覧注意】とさせていただきます









今日12月9日は
23回目の母の命日なんです。


家族の話は今までほとんど話題にはしてなかったのですが、命日で節目という事もあり、今回記事にさせていただきました。



私の両親は私が生まれてすぐに離婚しています。
親父は写真で見た事があるくらいで、今だに会ったことはありません。
連絡なんて一度も来たことはないし、養育費もすぐに途絶えたとか。
今どこでどうしているのやら不明。
死んではいないらしいけど。

母親と母方祖父母とずっと暮らしてきましたが、母は私が中学3年の冬に首◯り自◯しました。
42歳没。

第一発見者はわたし。
学校から帰ってきて二階の部屋で発見しました。
あの光景は今でも覚えています。
まだ中学生だった私は、すぐにはその場の状況を理解できませんでした。
けど、ぐったりと動かない母を見てただならぬ事だと感じすぐに1階にいた祖父に知らせました。

あとはもう断片的にしか覚えていません。

あまりに突然の事で受け入れるのに時間がかかりました。
そして私は2ヶ月後に高校受験を控えていたので
とにかく目の前の事を乗り越えないといけないという思いが強かった気がします。

遺書は見つからず、おそらく衝動的な行為。
決定的な理由は今だに分かりません。
ただ母なりに悩んでいたのは確かだと思う。
元々体力が無く、仕事もパートを転々としていたし、祖父母が同居していたので生活に困る事はなかったとしても、シングルマザーなわけで色々思い悩んでいたんだろうなと。

祖母はモーレツ昭和気質ですごく強い人なので、母とはよく衝突していました。
祖母も祖父からずっと壮絶なDVを受けていたけど、それでも離婚しなかった人だから、弱い人間の気持ちをなかなか理解できなかったのかもしれません。

相談できる人がいなかったのか
精神を病んでしまったのか
子育てで悩んでいたのか・・・
本当に色々な要因が重なって起きた事なのだと思っています。

私は母が好きでした。
反抗期でケンカした事もあったけど、優しくて楽しかった記憶しかないんですよね。
もしかしたら母は心中を考えたのかもしれない。
でも自分だけ先に逝ってしまったのは、私には生きて欲しかったのかなと。

母が亡くなった年齢に自分が近くなるにつれ
もしかしたら母はこういう事で悩んでいたのかな?と考えるようになりました。


母は女優さんみたいなすごくきれいな人でした。大塚寧々さんみたいだった。
今母が生きていたら65歳。
どんなおばあちゃんになっていたんだろ〜
もっと色んな話したかったな
お酒も一緒に飲んでみたかったし
もっともっと旅行にも行きたかった。

母が選んだ道に決して同感はできない。
残された遺族もつらいんだよ?
けど、それが母の人生だったんだろうと思うしかない。



仏壇に母との思い出のお菓子をお供えしました。



菓匠三全
ロワイヤルテラッセ 生パイ


今日は母と一緒に食べたいと思います。


最後までお読みいただき
ありがとうございましたキラキラ