遊覧記など... -21ページ目

遊覧記など...

主には出かけた場所の記録と整理の為に。時々独白&妄想要注意(笑)
※現在、旧ブログたちwからも終活兼ねて転記作業中

好きな庄内の神社の一つに、

庄内町清川地区に鎮座する

御諸皇子(ごしょおうじ)神社があります。

2016年に北楯大堰を見に行って、

偶然みつけて感動した神社です。

大堰の傍。仁王門もあるよ。仁王様いらっしゃいます!

 

ここの神社、山の上にあって境内も広くとても素敵なんですけど

御祭神や歴史など色々な伝説がイマイチハッキリせず

長い間モヤモヤしていましたが、

熊野神社マイブームのおかげで

自分なりにようやくスッキリしました。

社伝では

この地で亡くなった御諸別皇子(みもろわけのみこ)を

土地の人々が埋葬したと伝えている・・とあり、

それで御諸皇子神社、というらしいのですが

みもろわけのみこという人がよくわからんかった。

また、義経と弁慶が参籠した伝説があるのですが、

義経記には「五所の王子」と書かれていると。

そこで、図書館で義経記見てみましたら

確かに五所の字。間違いなし!

 

そして極めつけ・・・

たまたま読んだ神奈川の友人のブログで

義経や頼朝のお膝元の五所神社の記事を発見。

シンクロ~~(笑)

で・・・ネットで色々ググってみました(笑)

(シンクロ二シティって馬鹿にできないんですよw)

そうしたら、

 

↓ここにたどり着き~

 

 

もうびっくりびっくり!! 

そして・・・御諸皇子神社の字と謂れは

なにかの都合であとで変えられたもので

ほんとうは五所王子だったのでは?

=熊野の社だったのでは?

という妄想が成立したのでありました(笑)

 

また、『庄内町の点描』という冊子によれば

神社には弁慶の祈願文というものがあるらしく

それには『金華山五所王子は・・云々』とありました!!

隣の歓喜寺さんも山号がおんなじ~(^o^)

同冊子によれば、昔はこの辺りの山一帯、

金華山と呼ばれていたこともあるそうです。

宮城の金華山との関係もあるらしいと。

(宮城の金華山黄金山神社の御祭神は鉱山神)

 

 

たしかにすぐ近くの立谷沢川では砂金がよく採れたし

修験道の羽黒山もすぐ傍。

修験道と鉱山は切っても切れない間柄ときいたことあります。

修験道といえば庄内町には元羽黒地区もあり羽黒古道もあります。

数年前、ツアーに参加しました。↓

古道は丁度羽黒山の合祭殿の後ろあたりに続いていました。

 

羽黒山も古くは熊野修験の流れも汲んでいたはず。

それに弁慶伝説では、弁慶は熊野別当の子とありました(^o^)

そんな事もふまえると

もう、そうとしか思えません(笑) 妄想ではなく(笑)

 

あと、蛇足ですが・・・

うちの母方のご先祖様も立谷沢川で砂金を採っていたような

可能性も無きにしもあらず・・・かと最近知りました(笑)

それと・・・さっき思い出してぶっとんだのだけど

子供の頃住んでいた家の隣と前に

新宮さんと本宮さんが住んでいました!

 

なんか笑える~(笑)

これはいよいよ熊野に行かないとな(笑)

 

おわり。m(_ _)m