前回の続き。
「ボンヤリとした違和感」
これ感じたのは、今までの仕事での結婚披露宴の事。
その日はあくまでも、『ヘルプ』と云う事なので、
全面的に「儂が主導権を握る」って立場じゃなかったんですね。
なので、”落ち着いて客観”できたんです。
・・・これから先は、儂の考えなんで間に受けない様に。
それと、今から結婚披露宴をされる方や婚礼会場の関係者さんにとやかく言うつもりもありません。
儂の主観ですので、不快と思われる方は見ないで戴きたいです。
これは、今まで経験した会場内の総まとめで書いてます。
会場スタッフの動向が直ぐ目につきました。
過剰な、丁寧な言葉遣いと言い回し。
失敗は許されないという意気込みと空回り。
式や披露宴中の過度な説明や、身振り手振り。
画一化されたマニュアル通りのスケジュール。
今回のは儂も「淡々」とカメラ握って、あまり感情を出さなく撮影してたんです。
そこで感じてたんですね。
『これ、なんだろ?』って
もしかして、今までの「儂」もこんな感じだったのかな?・・・って
更に、カミさんと結婚したての前後、婚礼会場に勤めていた時期
遅くまで会社に行き、披露宴施工の当日は朝早くから遅くまで。
時にはイライラも積もり、儂と衝突する時も多々ありました。
それでも、『お祝い事に携わる仕事』なので
上手く(担当する結婚披露宴)が収まった時は、喜びを感じてましたが・・・・
じゃあ、
ボランティアでも同じこと出来るますか?
人の幸せ願うなら、無償でできますか?
自分を押し殺して、本音を出さずにできますか?
最近また、離婚騒動が勃発しました。
儂が商売下手だった為です。
ボランティア紛い。
『人の為』と偽って、自分の「優越感」の為。
本音でカミさんと渡り合ってなかった為。
世の中には、本当に「自己犠牲」の精神を持ってる人はいるかもしれません。
でも。
儂は「神」や「仏」でもなんでもない。
他人の事ばかり気にかけ、目の前の人を不幸にさせてる。
こんな奴が、『人の幸せの手伝いを・・・』って言う資格ないんじゃ?
綺麗な写真、カッコいい写真撮っても
見た目はいいかもしれませんが、「ただそれだけ」に思えてしまうんです。
やり方は賛否両論あるかもしれません。
最近のお客さんは、「本音」で付き合える方々しか受けなくなりました。
そりゃ、収入は左右されますが・・・
それが、「写真でやりたかった事」なんじゃないかなと思うんです。