夫の会社では、前回のブログに引き続き、昨日は「恥を知れ!」事件があったようですが、今日は以前下書きで書いていたのに投稿していなかった記事を出しますね。「恥を知れ!」についてはまた後日。

今日は
今年の1月、スリランカ新聞記事に出た記事について思ったことをちょっと直して書きました。



スリランカに関するブログを見ていると、大きく分けるとスリランカ愛が止まらない系か、スリランカなんて相手にするな、アーユルヴェーダサロン、年下ランカンくんとのラブストーリーになりますね。

私はスリランカについて時々辛辣なことも書きますが、実際にそこを直せば良くなるのに…という親御心的だったり、私の目線で選んだスリランカニュースと、日本人がスリランカ人とうまく仕事していくために知っておいた方がいい彼らの性質などをニュートラルに書いているつもりです。


実際にスリランカに旅行などで行ったことがある人は、スリランカが好きになる人が多いように思いますが、実際にスリランカでお店を開いた人、ビジネスを始めた人にとっては、あまりの困難の多さ(騙されたり、嘘つかれたり、すんなりいかず時間ばかりかかる)で、撤退せざるを得なかったり、スリランカに行ったことがない人は、ニュース報道で中国寄りだから日本は関わらないほうがいいとか、日本のプロジェクトを平気で白紙撤回するとか、特に1996年に国連人権委員会特別報告者クマラスワミ女史(スリランカ人)が慰安婦を性奴隷と定義して以来、スリランカに対する感情がこじれて、経済危機のスリランカを日本のお金で救済することに難色を示す人がいることも事実です。


スリランカが中国寄りだ…


ということに関して、スリランカに実際に暮らしていて思うのは、中国に擦り寄って行ったのは、私腹を肥やしたい一部の政治家であって、一般のスリランカ人はどちらかといえば中国人をあまり好きではないと思います。
今は道路の標識がシンハラ語、タミル語、英語で表記されていますが、いずれ英語と中国語になってしまうのではないか?と、特に中国が建設中のポートシティに関しての記事でそうならないでほしいと書かれていたこともあります。
また日本人と中国人の見分けがつかないスリランカ人が、コロナ禍の始めに私たち日本人に嫌な気持ちにさせたのは、中国人に対していい感情がなくなってきている表れだと思いました。


さて、こちらは1月に出た記事ですが
提案されたリハビリテーション局法案を参照して、昨日の議会のSarath Fonseka元帥は、今日の国の残念な状況に責任がある人であるため、最初にリハビリされるべきなのはこの国の政治家であると述べた。

「私は、この国の人々にアラガラヤを再開し、腐敗した政治家を権力から追い出すよう訴えます。「アラガラヤと言うとき、1971年や1989年のような反乱という意味ではありません。私が言いたいのは、この国の民主主義を回復するための平和的な闘争だ」と彼は付け加えた。


スリランカの新聞にはアラガラヤという言葉がよく出てきます。闘争という意味です。
ゴタバヤ氏を追い出した抗議活動もアラガラヤです。



《スリランカの背景を知ろう》


スリランカ人は、スリランカの今の状況は政治の腐敗、汚職、コネを利用することが招いた結果だと分かっています。腐敗を無くさなくてはいけないこともわかっています。
しかし長く続いてきた慣習で、同じ村出身、同じ学校(特に寄宿舎生活する学校出身)は、特に強いコネとなり、大統領や大臣まで直接電話をかけてしまう人も多いです。

嘘をつかれた、騙された、約束を守らない…
結果的にそう判断されてしまうことが多いスリランカ人。

夫は会社で腹が立つことも多いのですが、「あいつらは嘘をつこうとは思っていないんだよ。」
「いいカッコしいで、誰にでもいい顔をしていい返事をしてしまうんだよ。」先を見通して考えるのが苦手なのに。
「結局うまくいかないことが起きても、プライドがあるから素直に謝らずに、その場しのぎの言い訳をしてしまう。」そこが悪いところ。

あくまで夫の分析ですがこれは押さえておくといいポイントだと思います。

政治家なんて、プライドの塊みたいな人だから、今までごめんなさい、私は変われるようにリハビリします、なんて言える人がいるのかしらね。




エピソード1313

 

今回もお読みくださりありがとうございました。ニコニコ