先日、親友の大切な友達がお空へ旅立った。


こんな時、なんと声をかけたらいいのだろう

声に出せない悲しみと寂しさが襲ってくる


その友達のことは間接的に知っていて
親友である彼女がよくその子について
にこにこしながら話していたのを思い出す。


震えるような声で
夜突然電話がかかってきて、

「亡くなったって」とその言葉を聞いた。


自分だったらどうだろう。

彼女とは別の、
私のもう一人の親友は難病で
今現在家庭を持って毎日明るく楽しく過ごしている。

だけど、いつ急降下してもおかしくないと聞いた。


その友達がいなくなってしまったら私は

耐えられるだろうか。


その親友に聞いたことがある。
「どうして結婚しようと思ったの?」と。

するとその友達は
「じゃあ人生で1番起こったら耐えられない。と思うことって何?」

と聞き返してきた。


私の答えは素直に、「あなたがいなくなること」
だったのだけれど。



するとその親友は笑って


「嬉しいなぁ。でもね、もしそれが起こっても
生きていこうと思える人と結婚してね。
そういう人と、結婚するんだよ。」


と言ってくれた。


その話を、訃報を受け取った彼女の電話越しの
震えた声を聞いた時に思い出した。


1週間ほど経って、私は彼女に手紙を書いた。


「生きようね。」と。


「そして約束するね。」と。


「頼ることが苦手な私だけど、
辛い時は辛いと、悲しいことや寂しいことを
我慢せずにあなたに言う。
そしてあなたもそれを約束してほしい。

一緒にいる時、
綺麗なもの、可愛いもの、おもしろいものを見て笑顔になったら、きっとその子も笑ってる。

だから、生きようね。

生きて、たくさん素敵なものを見ようね。」


誰かのために生きたいと思えた瞬間だった。


人の死は苦しい。

瞬間的に、というより
ボディブローのように

じわじわと効いてくるものだ。


私のできることはなんだろうか。


その子のイメージに合ったお花を一輪
花屋で選んで買って親友に贈った。


太陽のようで優しい色合いの綺麗なダリアだった。



五年前、亡くなった大学の友人へ
既読のつかないメッセージを送る。

「とっても優しくていい子だから、よろしくね。」



生きよう、今日も。

かなしいばかりが全てじゃない。


美しい日の出を見たとき

かわいい名も知らない花を見たとき

おいしい食事をいただくとき

おかえりと言う声が聞こえるとき


きっとあなたも一緒だ。