撮影当時、良く役者さん達と集まって稽古をしてました。
この話をやろうとなった時に、読み合わせを何度もしたことを思い出します。

クライマックスで、どうやったらお客さに信じて貰えるか、口角泡飛ばす激論を、いや、穏やかに和やかに打ち合わせをしました。

脚本を書いた時点でイメージしたことも、第3者の視点から見て貰うことで結構ひっくり返ります。
意図せず立ち上がるドラマや矛盾点(役者さんの伎量でどこまでも膨らみますよね)、
懲り過ぎなところや足らない所が見つかるのが、面白い。

短い作品ではありますけれど、普遍的なドラマを残せたのではないかと、振り返るこの頃です。

書いた台本をしばらく寝かしてみるとか、人にゆだねるとか、客観的視線に接する方法を見つけることが大事なんだなぁ、と実感します。
なに書けばいいのか? てか、でっかいタイトルですし、(アレックス的な生き方? 普通に生きていると思いますが。)
まぁ、そんな事言ってると始まらないし。(日本語で書くのがあんま自信ないです。漢字も間違える時もあるし。)
まぁ、そういう事始まります。よろしくお願いします。
by alex

~知らせたいことがある~

「しらせ」ブロードキャスト

というサイトで、ストリーミング放送の準備が着々と進んでいます。


実は本日、「BUDDY」動作確認用の映像を見せて頂きました。


これはすごい。

まさにDVD。

頭出しのスピードはDVDのアクセスよりも速いくらい。

そしてWXGAの画面一杯に拡大しても、ノイズ全然無い画質に驚きです。

これが、外部にオプションボックスがいらず、パソコン本体のみの設定で視聴可能なのが、ほんとにすごい。


DVDレンタルなどが出来ない方は、是非「しらせ」で観て欲しいです。


私も、他の方々の作品を拝見するのが、楽しみです。


アレックスが通う様になった学校は、高田馬場にありました。

そこは、主にポストプロダクション業務に役立つ映像合成を学ぶ学校で、

そこの映画製作コースの栄えある第1期生だったのでした。


私はといいますと、事務職でありながら、授業のサポートをしたり講義を持ったり(もっぱらアプリケーションの操作一般)していたので、よく話すようになったのです。


当時の彼は正直、やんちゃでした。

授業はまともに聞きませんでしたね。

でも、考えはしっかりしていたので、放任でした。

しかし、日本で勝負するなら通用しない考え方が多く、

(フランスでは個性を尊重するからどんなわがままも通るらしい)

それを指摘するたびに口論となり、

えらくエネルギーを使ったのを覚えています。


そういう非凡な人ほどクリエイティブな作業には向いているようで、

2年間の間に何本も小品を撮っていきました。


タイトル未定の作品数本

「亀の名前」

「サンド」

「星を見つけて」


フランスで撮った映画は、遊び心のあるカットワークで、日本人的でない、さすが映画の可能性を拡げてきたフランス!と云いたくなるようなものでした。

それが、段々と叙情的な作品を撮るようになったのです。

我々日本人の琴線に触れるような、切なくなるような恋物語などなど。


もともと勢いはあったのですが、日本語の壁と日本人との交流から感性の変革が起こったようで、

作品の質が徐々に変わっていき、それに比例するように作品を撮る機会が減っていきました。


色々悩んでいることもあったようで。

文化の違いや、うまく伝えられなくてもどかしい人間関係など。

キャスティングや撮影現場のサポート、編集周りのお手伝い、

作品を完成させずに途中で投げ出しそうになるアレックスのお尻を叩きつつ、

和洋折衷になってきたのかな、そういう意味ではオリジナリティとして面白くなってきたな、

と、弟の成長を頼もしく感じる風に見ていた私だったのです。


それがやがて、自分の書いた本ではなく、色々な人とのコラボレーションで映画を撮りたい、

という欲求に発展していったようでした。


ある日、アレックスに

「いままで一人の力でどこまでやれるかを試してみたかったんだけど、もっと可能性を拡げたい」

と云われました。


そこで数日後に、アレックスにある脚本を渡しました。


話は逸れますが、アレックスはハートがオープンなので、俳優としてもとても面白い人で、器用な演技をします。

私がプライベートで演技のゼミナールを開いていたので、

「監督なるもの、俳優の心も分かっていなきゃいけない」

と、通ってきてくれていました。

(ちなみに、第9回のインフェスに応募する予定の「おとうさん」という作品で、そのアレックスの演技をご覧頂けるかと思います(入選すればですけれども))


そのゼミの俳優さんたちと、作品を撮ろうという話をしていて、準備していた脚本がありました。

アレックスに渡した脚本は、正にその脚本でした。

BUDDYはそこから始まったのでした。


アレックス的には、とても開放的な気分になったようで、存分にアイディアを出して、

スタッフの意見を聞いて取り込んでいったその作品は、

遊び心と叙情的な部分がほどよく混ざり合った作品に仕上がりました。


結果は、インディーズムービーフェスティバル入選を頂けました。

これからまた、勝負なのですが、アレックスはスタッフワークを大事にした最初の作品である種認めて貰えたことが、とても刺激になったようです。


彼の次回作を準備しているところですが、

もっと色々学びたい、と飛び込んだ制作会社でグラビアアイドルのイメージDVDの製作業務に忙殺されているようで、

ブログの更新もして貰えないほどバタバタしています。

アレックスに撮影秘話をお願いしようかと思っていますが、また私が更新させて頂くことになりそうです。


アレックス的な生き方という題で、アレックス監督の紹介をさせて頂きました。

また面白いエピソードが出てきましたら、更新致します。


次回からは、「BUDDYな仲間とBUDDYの撮影(仮)」という題で、

撮影にまつわる裏話をしたいと思います。



BUDDYの意味する所は、相棒・兄弟(ヘイブラザー、という意味での)なのです。


アレックス監督と私とは、気づけば5年を超える付き合いとなっている腐れ縁・相棒といった間柄です。

そういう意味で、この作品は、表層や裏側、精神的な部分まで含めて、至る所がBUDDYでいっぱいです。


アレックスという人物を知って頂くことが、作品をより楽しんでもらえる事につながるのではないかと考えて、

BUDDYである私の視点から、アレックスを紹介してみたいと思います。


彼は、お父さんがフランス人で、お母さんが日本人。

18の頃にフランスから日本に帰ってきました。


そんな彼は、私が勤める映像学校の映画製作コースに入学してきたのでした。

それが、アレックスとの出会い。

日本語がベタベタに下手で、でも映画を撮りたいんだ!という事をひたすら訴える熱い少年でした。

熱いと云われるのが嫌らしく(フランス人に汗は似合わないらしい)、クールな素振りをしている微笑ましい奴なのでした。


「フランスで撮ったんだ」

というアレックスの作品を見せて貰った私は、

「へええ、面白い~。どんどん撮りなよ」

と云ったものの、そこから

『BUDDY』

までには、しばらく時間がかかるのでした。


---つづく