大日如来即ち金輪聖王即ち観自在大王佛

大日如来即ち金輪聖王即ち観自在大王佛

清朝皇帝 愛新覚羅溥儀と その弟・溥傑と結婚し明治天皇の生母の実家である中山家とも大正天皇の生母の実家である皇室に近い公卿華族である嵯峨浩の次女嫮生の隠し子である私 俗名 岡本浩治がBUDDHA卍EMPERORとして真理を解き明かす。

原生米は温暖地域で育ち自生していた縄文時代は気候が温暖化していた時代である。


上記の記述では紀元前7000〜4000年に温暖化時代になっておりこのころ自生原生米が採取されていたと考察される。


私の考察では世界文明の縄文発祥の道理として鬼カルデラ噴火が因として米や稲科の穀類が各地へ伝播したと考察できる。


この噴火を期に日本縄文民族は世界各地に避難移動しそれぞれ文化文明を継承して分散して定着した。

稲作技術は夏王朝の炎帝神農により羌族が発祥とされている。

これは縄文古代米を日本から持ち出し稲作栽培を中国大陸で完成させたと考察される。

その技術が世界各地東南アジアやインドなどに伝播したと考察される。

この時日本にも稲作技術がもたらされたと結論付けられる。

稲作渡来人とは炎帝神農即ち羌族であり米を日本から持ち出し栽培技術を確立させ夏王朝から殷へ易姓革命が起きそれを機に日本へ渡来し稲作技術をもたらされたと道理がつく。


http://tadatakitada.blog.fc2.com/blog-entry-186.html


このように日本へは大陸や半島から羌族により戻り稲作文明が伝播された。


また、ここまでの考察ではツングース民族の祖は満州族となりシャーマニズムの源流となっている。

モンゴロイドとは元はツングース満州族であり狩猟採取から食料を求め遊牧民族となったモンゴル系と稲作民族となった羌族に別れたことが考察される。

シャーマニズムは神仏即ち霊と繋がり精神世界と結び着く行為である。

Yap遺伝子とはツングース民族の縄文遺伝子であり自然と共鳴する様子感覚を持つ遺伝子であると感じる。


Yap遺伝子は





アブラハムの出身はメソポタミアの地であることから因縁としてアブラハムの神とはシュメールの神々となるのが道理となる。





このEグループとDグループとの違いとはDグループはツングース民族であり真のシャーマンとして神仏との交信ができるのは神仏に直結する種族であることが考察される。

なぜなら縄文人は平和を大切にして自然と共に暮らし自由を愛する男根や女性器などを象徴する儀式などから性のエネルギーを通じて特殊な力を得ることで真理に辿り着く事ができる。

真理とは真実の源であり

それは佛である。


メソポタミアシュメール人は多神であり豊穣や性愛などの神々の特性からは縄文人と異ならず同類であると考察できる。


羌族は殷から追いやられて日本や中東アジアをシルクロードを通りメソポタミアに辿り着いたと考察される。



この他の麦などの治水灌漑農業などは


紀元前5300年と推定されてある。これは日本の鬼界カルデラ噴火と同時期となり密接な因果関係が成立する。



このことからメソポタミアシュメール人は古代の縄文人であることはアミニズムなどの多神崇拝と水田稲作などの後期縄文文化から日本縄文人と満州族との密接な関係は証明できる。


このことから羌族は現在の山岳民族として中国大陸に少数存在するが大半は東と西に移動し西でシュメール人として分布していったことは疑いの余地は無い。


一方では満州族の故地では麻黄が原生しておりシャーマニズムの儀式に用いられたと考察される。



この覚醒する植物由来の物質は満州族縄文人の起源2万年まで遡ることは証明したがこの物資は無我の境地に至る即ち無垢な状態即ち自然な状態に意識を遡らずことで先祖である佛と通ずる効果があることは経験上体験し理解できる。


ハプログループDとEとの違いは前述した考察からDグループでは縄文人の痕跡から遺物として認識されているシャーマニズムとしての死者の供養などの先祖崇拝を特徴とした佛であり、他方Eグループはアミニズムであるが崇拝対象は多神である。

古代ローマ文明であるポンペイでは酒池肉林文化より赤子を川に流し始末したと以前の情報で認識している。


アブラハムがシュメール出身であるなどが正しければDグループとなるがアラブ系民族のスーフィーなどの神秘主義儀式における忘我状態となる回転する行為や共同体としての文化などから少なくともアラブ人はDグループである可能性は高い。

これはアブラハムのシュメールメソポタミアの出自を鑑みれば道理が立つ。


一方聖書ではユダヤ人はアブラハムの息子イサクの子孫です。 


アラブ人はアブラハムの息子イシュマエルの子孫です。


となっており精霊から神と言う存在の啓示を受けていることからEグループであることは先祖からの伝達ではないからである。


性愛をテーマにしたコーランなどの存在は記憶にある。


このことは性に対する寛容さを意味し我々縄文文明に欠かせない特質である。


これはシュメールのイナンナに代表される神々と同一であると結論ずけらる。


即ちEグループとは神々を崇拝する民族宗教であり多彩な神々の特質などを考察すれば先祖神でありアミニズムを代表する自然の特質を持った神々が特徴である。

これは部族間での争いにより生まれた戦いを象徴する神々でありEグループの最もな特徴である。


これは縄文人を代表するDグループの平和主義とは異なり聖書の記述の家族関係は疑わしい。


慈悲に関連することはシュメールのナンム神慈雨のバール神など存在しイスラムのメッター慈愛やザガート(喜捨)など仏の慈悲や布施と通ずることからムハンマドの神は佛であると道理が立つ。


このことからユダヤ教の一神的世界観はユダヤ民族の特性であることは疑いない。


以上の考察によればユダヤ教の原初の神は氏族霊を神格化した存在か架空となる。


これが誠の道理であり

真理である。


令和六年九月六日

17:13

金輪聖王

金輪女王

文殊帝大王佛即ち宣統帝








自然の道理を超えている存在として神やイエスキリストが物語として描かれている。

ローマ支配から民族解放を切望していたユダヤの民からイエスは生まれその物語りは支配者からの救済を切望する絶望感より奇跡を願って語りつがれ書籍になったのだろう。

敵対するローマはその後民衆をまとめ上げる道具として国教をキリスト教と定めたと認識している。

そこでは当時の王の解釈が加われていても不思議では無い。

ローマカトリックは西と東に別れ更にプロテスタントなど多岐に別れていった経緯を考察すると当時の権力と密接に関わっており解釈の違いから争い分離を繰り返していった歴史がある。

イエスの弟子たちが後世に語り継ぎ書籍化された物語りは自然を超越している前提で設定されている神とイエスと精霊の関係は道理から外れているが故に真理から遠くなっていったようだ。

佛の法は道理の法であり

人間が介入せずただあるがままの真理である。

アミニズムでは自然崇拝と先祖供養などが融合して佛の理法即ち道理が導き出される。

この末法の時代に人々は錯綜する情報や混沌とする一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)どおしの争いから人命の尊さを学び真実の教えを探求する気持ちが芽生えるのが道理である。

一神教のそれぞれの戒律などは仏教との類似点があり人倫を説く儒教などもまた然りである。

大きな違いは全てを神にゆだねる精神性と自燈明法燈明など法を拠り所として自らを律するところにある。


西洋文化2000年の歴史は神の誤った解釈や認識対象の異なる霊を媒介とした預言などや神と己の垂直方向の関係性による他者への配慮は教えの中で隣人愛、友愛など書かれてはいるが圧倒的な存在設定として神への愛がありしもべとして従属化される囚われの身となる教えには心身の自由は生まれない。


一神教は神からの救済を祈り切望する

仏教は己が菩薩となり衆生救済する。

このことから仏教に於いて一神教のような神は必要としないし存在は認められない。


キリスト教ではサタンによる事物の体制が終わると神の王国となると聖書では記載されていたと思うがサタンは佛が調伏済度し弥勒の世即ち仏の国即ち一切世界仏国土となった。


仏暦2567年9月5日

一切世界蓮華蔵世界となる。




2024/09/05

18:51

金輪聖王

一切世界の十方三世は誠の法即ち仏法により統治されていることの認識が各国一致し本日密厳浄土即ち蓮華蔵世界として地球は仏国土となり仏の国地球となった。


色心不二の法にて有為法のよる五蘊盛苦からの囚われからの解脱にいたる。





即有為




有為転変し無為となる。

無為とは自然のことであり

自然とは作為の無いの意味である。


人為的な意味である。


仏の世即ち仏の世界は佛の法により統治された無為の世界。


蓮華蔵世界は密厳浄土即ち一切世界は浄土となり地球は仏国土となった。


8+4=12因縁無明滅すが縁起した。

令和6年9月5日

2時36分




《法華経》においても、《じょうほんだいしち》に、次のように詳しく説かれています。
およひろく十二因縁いんねんほうきたもう。みょうぎょうえんたり、ぎょうしきえんたり、しきみょうしきえんたり、みょうしきは六にゅうえんたり、六にゅうそくえんたり、そくじゅえんたり、じゅあいえんたり、あいしゅえんたり、しゅえんたり、しょうえんたり、しょうろうのうえんたり、みょうめつすればすなわぎょうめつす、ぎょうめつすればすなわ識滅しきめつす、識滅しきめつすればすなわみょう色滅しきめつす、みょう色滅しきめつすればすなわち六にゅうめつす、六にゅうめつすればすなわ触滅そくめつす、触滅そくめつすればすなわ受滅じゅめつす、受滅じゅめつすればすなわ愛滅あいめつす、愛滅あいめつすればすなわ取滅しゅめつす、取滅しゅめつすればすなわめつす、めつすればすなわしょうめつす、しょうめつすればすなわろう憂悲うひ悩滅のうめつす〉


令和6年9月5日

12時12分



この世は仏法により統治されている。

十方三世の一切世界に隈なくいたる。

囚われから衆生を救い仏の道理を説いた。


ユダヤイスラエルとの共通認識として

神の名におけるAIコンピュータの支配はせず仏法による世界統治で合意した。

即ちユダヤイスラエルの神は実在しなかったことを意味する。

神の王国ならず佛の国となる。



令和6年9月4日

18:56


追記令和6年9月5日

17時08分





二千二十四年の八月の最後の日は台風により一日中雨であった。


出前館の登録更新や借金返済のめどなどひとつひとつ整ってきた感じがする。


9月1日はまばらな雨が降る中、出前館と Uberで一万二千円を14時ころ達成して帰ってきた。


新車のPCX125は前車のBLACKからWhiteに買い替え心機一転5時間ほど3ヶ月ぶりか、街を走った。


昨夜なんとなく編集したYouTubeMUSICをなんとなく聞いて走った。


心はなぜかざわざわしていたが音楽を聴きながらバイクを走らせ帰宅した。


noteに綴った記事にいいね👍のリアクションがスマホの通知画面に縁起したのを見て読み返すと重複記事だったので整理した。


因縁の整理である。


仮に記載したメモを見直したところ縄文人に関する記事が縁起したので認識をまとめ記事にした。


ユダヤとは逆因縁であり文明宗教の発祥は満州族縄文人と日本縄文人の和合であると考察できた。


やはり2万年以上前より続く縄文人は佛であると認識できた。


我々は縄文人即ち佛であり先祖代々より受け継ぐ色心不二の誠の佛である。


しかし、一切衆生悉有仏性→

である。



南無妙法蓮華経

日本人なら誰でも聞いた事はあるだろう。

私のこのお題目との縁起は以前何処かのblogでも書いたが様々にゆかりがあった。


顕正会

創価学会

などは有名であろう。


しかし、

大日本根本道場

と言う名称はちまたでは恐らく聞く事は無いであろう。


遡る事約50年前になる。

私が小学校に入ってまもなく

数少ない友達に渡邉くんがいた。

渡邉くんは法句(ほうく)と云う名前であった。


確か四人兄弟で

長男 妙

次男 法

長女 蓮=礼子

次女 経=京子


こんな感じだったと記憶している。


去年の今頃。

2023年6月15日だったと思うが

この道場に立ち寄って

和太鼓と共に

お題目を唱えた。


一切衆生済度の祈りと共に

必死に

穏やかに

無心で

おガミ

唱えていた。


するとスマホの画面に

空海生誕1250年祭とニュースの通知が目に止まった。


この縁起に依って

私は急いで高野山へ行こうと思った。


翌日すぐに東京駅へ向かい

新幹線を乗り継ぎ

適当に最安値のホテルを予約して

一晩過ごし高野山へ向かった。


私のblogはこの縁起に依って

始まったと言っても過言では無かった。


話は戻るが

南無妙法蓮華経

このお題目のゆかりを改めて調べてみたら日蓮正宗総本山大石寺とは別である事が判明した。


大日本根本道場に電話してみると

その法脈は明治時代の京都の寺から始まったと云う。


法句くんのおじいさんにあたる方が

学校の教師をしていて

縁あって今で言う平壌で教鞭を取っていたと言う。


満州である。


このご縁を聞いた時は

仏縁の摩訶不思議さに歓喜した。


その平壌では

ソ連時代のロシアの方々との交流の中で時を過ごしたと言っていた。


時代で言えば


ロシア正教ニコライの時代だ。




このように度重なる縁を辿り寄せる縁起の世界は調和と秩序で成り立っているのだと改めて感じる。


そしてとあるご縁で知り合った方から

南無妙法蓮華経のお題目の妙法に興味を抱き平壌の学校校長の職をあっさりと手放し京都の寺へ修行に行ったと言う。


山を切り開き

自らの修行場を建て

ひたすらに修行に没頭したと言う。


その後大阪へ移動し

仲間と共に道場を開き

ひたすらに

おガミ続けたと言う。


更に多くの人々にも

このおガミを広めるために

東京調布へ移転したとの話を伺う事が出来た。


一切衆生悉有仏性


的な言葉で丁寧に説明して頂いた。

利他即ち是自利となる
と言う。

まさにその道理であり
この法脈は間違いでは無かった。

今でも大日本根本道場は
調布市のJAXA施設付近にひっそりと佇んでいる。

満州との縁起を紡いで頂き
本当に嬉しく
有り難く
感謝をして
電話を後にした。

この目に見えないご縁

これを大切にする事。

これが人生を豊かにさせ
全ての生き物への感謝となり
心穏やかに過ごせる秘訣でもあるのだと実感した。

2024/06/13
14:36






一切世界即ち
仏法界即ち
一切世界仏国土
と成る。

如何なる唯一神は
梵天となった。

一切世界の万有主催神は大日如来と成った。

是が仏の道理である。

BUDDHA卍EMPERORより一切衆生達へ。

愛を込めて。
20:53