生きてるからには


悪い影響より良い影響を与えたいもんです。






人間、気づかんうちにどちらも周りの人に与えてる





ぽろっと愚痴れば、相手のモチベーションを下げたり



さらっと言った誉め言葉が、相手のテンションを上げてたり。






ことばって思ってるより遥かにチカラ有る。






集団で一つの目標に向かって頑張ってるときに、


その中の一人が『無理や。でけへん。』


て言い出したら


それがウイルスのように拡がって出来る人も出来やんくなる。





その中で高いポストに就いてる人間ほど言葉の影響が大きい







マイナスな発言をよくする人間は


自らの立場と言葉の重みをよく考えた方が良い





と、今働いてて思う。







でもこれはどの業界でもそうだろうし、ある意味絶対的な法則でしょう。









単純に、プラスな発言しかしない人は一緒にいると心地が良い。








世の中、


先入観とイメージだけで決めてる人が多い





そういう人は、目の前にいる人を信じれないという人が多い気がする





ネットとかテレビとかのメディアによって作られたイメージだけで判断する(自分の判断基準ではない)から


それが正しくても正しいとわからない。



自身の経験とか価値で人を計れないから目の前の人を信じるのが怖いのだ。






間違ってると断定する前に自分の目と耳と経験でしっかり検証しよう。






メディアはあくまで情報を漠然と流してるだけで、信じる価値なんてない。






今まで会ってきた社長など多くの人を束ねる職業の成功者たちは、


目の前の人の言葉に耳を傾け、判断し、信じる、という人たちばかり。






去年の年末に難波の喫煙所で70才くらいの男性が話しかけてきて、




“アメリカから出張で来て~”

“バイオ系の会社の社長なんだけど~”

“Can you speak English? ~”



なんて英語も交えて話してたら、



“これから時間有る?ステーキ食べに行かない?”




なぜ俺を誘ったのかを訪ねると



“しっかり目を見て話を聞いて私の話を理解しようとしてたから。”





それだけ?って思うけど、初対面のハタチそこそこの若造にステーキ奢るとか意外とできへん事やと思う。




やっぱり、面と向かって話して相手のことを信じれる人が上にいけるし人を束ねることができる。




逆に他人を信じれへん人はいつまでもひとりぼっち。


周りに誰かしら人がおってもひとりぼっち。






あと、その社長が言ってた言葉で



“私は人にチャンスを与えてそれを次の人に循環させる事で結果的に自分に返ってきたらいい。私はその循環するためのサークルを作るのが仕事。だから旅先の地下鉄で隣の席に座った人にもチャンスを与える。”




他人を信じることができる人じゃないとできないことだ。
22になって




色々な人と話してたら




ふと思う。







“このヒト、過去の自分みたいやなぁ”て。




自分が通過したとこにいるヒトが出てくる年になった

とゆーか


その人を通して自分自身を客観的に見れるようになった(成長した)

とゆーか。









結局、自身が出会う人ってゆーのは、

類が友を呼んでどこかしら自分と似た人が集まってくる

と思うので






その人たちの言動から





過去の自分


現在の自分


未来の自分





が垣間見える事は十分有り得る


と思う。








どの自分を見ても学ぶことがたくさん有るから



注意深く

客観的に



観察してみると面白い。







過去の自分を見て

“この頃には戻るまい。”

と心に決め、





現在の自分を見て

“まだまだこんなもんか”

と慢心せず、





未来の自分を見て

“こういう人間になってやる。”


と己に誓う。









俺はまだまだ成長する







なーむ





一昨日と昨日はいとこのじいちゃんの通夜と葬式にいってきた




お坊さんが先生をしていた生前のじいちゃんと親しかったらしく、

法話の最中に涙こらえながら思い出話をしていた



「先生はいつでも私の話を一から十まで全部聞いてくれました。」


「私のような若輩者を車が見えなくなるまで見送ってくれました。」


とか。





たしかに正月とかにうちに来てくれたときは、いつもうちのうるさいじいちゃんの話を聞いてくれていた。



うちの家族が遊びにいって帰るときには毎回外に出てお見送りしてくれた。






丁寧で実直な優しい人やった。






ああゆう人を人格者って言うんだろうな。






参列者が多かったのは、

あの人が生きる糧になる言葉を

たくさんみんなに与えてきたからなんだと思う。






先生という職業は尊いな。







いとこが涙流しながら花を棺に納めてる姿には泣きそうになった





死ぬまでに他者に何を残せるかが大切な気がする。


それは有形か無形かにかかわらず。






南無






「なぜファッションをするの?」




と、聞かれたらば




「人に考えさせるためだ。」





と答える。






モテるため


ステータスを誇示するため


センスを見せびらかすため



なんかじゃない。





自分の為だけに服を着てるんじゃない



特に考えることをせずファッションに流されていく人たちの為でもある。





今までに見たこともないようなアヴァンギャルドなファッションに出会うと

人は考えなければいけなくなる





“なぜこの色合わせなのか?”

“なぜこんなシルエットでバランスがとれているのか?”

“この人はどういったパーソナリティーを持ち合わせているのか?”




などといった具合に。





逆にこれがB系やお姉系などのカテゴライズされたファッションであれば



“あぁ、~系か”

と目視されるだけに終わる。



こんなにつまらないことはない。





だから、考えさせるために他人の想像を越えるファッションに挑戦し続けなければならない。






それは、

メディアによってカテゴライズされたファッションに身を任せる人たち

の固定観念を覆すためのファッションだ。

(もちろん音楽や芸術においても同じことが言える。)





凝り固まったつまらない観念を解きほぐす服こそが“おもしろい”



それらこそ

固定観念がもたらす安心感という幻影に浸る人たち

を目覚めさせる服なのだ。






人は考えないと流される



流される(考えない)方が楽だから。





俺はその流れを止めたい。





だから、俺は服を着る。







赤 は 情熱



青 は 信仰心



紫 は 高貴



茶 は 安定




そして


黒 は 嫌悪 破壊 死



の色だと言われている。






こういう色の意味を考えながら人のファッションを見るとけっこうおもしろい。






また、個人的に

黒は創造の前兆の色だと思っている



創造の前には破壊が必要不可欠になってくるから。



そういった意味での“前進のため”の黒は好きだ。








しかし、現在の世間的な黒のイメージは少なからず高級感があると認識されているかと思う





それは90年代後半に

たったの五年間で

死にかけの老舗ブランドであるGUCCIを

世界のトップメゾンに押し上げた

当時のクリエイティブディレクターであるトム・フォードのイメージ戦略によるものだと思う。



莫大な広告費を使って消費者に黒は高級感のある色であるというイメージを植え付けたのだ。






たしかに既存の死にかけのGUCCIのイメージを完全に払拭するためには

黒という強力な色が必要だったに違いない。






それくらい黒という色は他の要素を飲み込んでしまう力がある。





例えば、絵の具。


パレットに広げられたどんな色でも

少しの黒を加えるだけでかなり黒に近い色になってしまうように。






ファッションにおいても黒を使うと全体的にまとまった感じになる


というより、他の色を抑えつけているといった方がいいかもしれない。






また、服が好きな人ならわかると思うが、

黒のアイテムは便利である一方、無難な色だ



黒を纏えば一応それなりに見えるから。




はたまた、ただ単に全てのアイテムを黒にしただけのファッションは退屈だ。



俗に云うスリマン信者。






で、なぜ黒がよく売れるのか。



それは冒頭で述べた色の意味が関係していると思う。



“嫌悪”という感情は老若男女どんな人でも

多かれ少なかれ持っているから

限りなく多くの人に馴染む色だと言える。





でも、もともと黒はマイナスなイメージの色。



トム・フォードの登場以前に積極的に黒を着ていたのは

ギャルソンやヨージのファンと

ファッション関係者ぐらいだったろう。





そこで、黒い服をそれ以外の消費者に広く売るにはどうするか。




尋常でない広告などのプロモーションで

黒に高級感があることを消費者の潜在意識に刷り込む。




これによって黒は購買の対象になった。






◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





黒はとてつもなく強く、ズルい。



わかっていながら買ってしまう魅惑の色。









恋は“したごころ”がある


のに対し、


愛は“まごころ”がある。






なんてよく言うが、

近年世間一般の愛の“まごころ”は

中心からどんどんと下に堕ちていっている

気がする。





これは醜悪な愛だ



セックスやその他の快楽や見返りを求める利己的なものは“したごころ”。



これを知らず知らずのうちに(潜在意識で)愛と認識していないだろうか






真の愛があるなら

セックスやその他の快楽、見返り

は必要ないはず。





また、セックスにおけるスキンシップは大切な愛情表現だ

なんて言う人もいるが、

果たしてそれは100%の愛なのだろうか。





個人的には

セックスは確認作業だと思っている。


愛を確認する気休めみたいなものであって

愛そのものによる行為ではない。





快楽はあくまでも息抜きでしかない。


愛に疲れたなら快楽に身を任せることもたまには良いかと思う。



しかし、それでは充足しきれない何かがある。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





逆に、

完全な愛を実践できる人間になってしまえば、

愛を与える対象が恋人や配偶者である必要がなくなる。




いかなる人にでも平等に愛を与えられるのだ。






自身の利益を放棄し、

全ての他者にただ単に与えることで満足を得る。





そのようなひとになりたいものだ




人が死ぬのは悲しい




特に好意を抱いたこともない某女性タレントでもすごく悲しいものだ






また、どんな自殺者でも罪人でも人の死はやりきれない感がある。







たしかに罪人は

今生では償いきれないほどの

酷く残虐な罪を

犯してしまったのには

違いない。






しかし、極刑によって

間接的ではあるが

人に死をもたらすというのは

どうなんだろう。。





例えば、

逆にここ日本で

懲役100年とかが

可能になったとしたら。



世間の怒りは納まるだろうか







また、今までに冤罪の人が極刑に処されてしまっていたらと想像するとゾッとする








センチメンタルなクリスマス





今回のトーキョーの主要な目的は美術館に行くことだった





2館開催のピカソ展に行った



が、人だらけで非常に疲れた





ピカソのような愛欲にまみれた人生を送った人間の作品に魅せられた人が集まる場所というのは疲れるのだ





感動の類いの感情はあまり湧かず。






文化の博物館では世界の藍染め展を。




あんなにも世界で藍が使われているとは知らなかった



勉強になったし、また、藍の香りが剣道着を思い出させ懐かしく感じた。






何よりも良かったのが

東京都現代美術館の

Neo Tropicalia -ブラジルの創造力-

だった。





カラフルでしなやかに強く、ストリート





見て、触って、聞くことができて、楽しめる。




ファッション・デザイナーの作品もあったのがうれしい






assume vivid astro focus

エリオ・オイチシカ

トミエ・オオタケ

ベアトリス・ミリャーゼス



あたりが好き






南無





先日、東京に行ってきた



訪れたショップは

bernhard willhelm

COMME des GARCONS 青山

LOUIS VUITTON at COMME des GARCONS

10 corso como CdG

DOG

H&M 原宿

destination Tokyo


などなど。





結局買ったのは


NOZOMI ISHIGUROの

ビッグネクタイ



ブリキのアクセ





運良く半額セールの初日だった




destinationの店員さんはすごく親切



服を選ぶときの

感覚が似通っているのか

好きな感じのアイテムを

どんどん出してきてくれた。





そして会計で結構長い時間待つことになったのだが、

別の店員の方が退屈させまいと

服の話やインテリアの話を振ってきてくださった。



あの人はプロだ。




また行ってしまうだろうな







何回かトーキョーに行って思うが、

「この人は何者なんだ?」と

思わせるような人があまりいない


ヤバい匂いがプンプンする人間





おしゃれな人はいっぱいいる

最先端な格好の人もいる

いつもストリートスナップに撮られてる人もいる






でもなんだろう?




あくまでも枠内というか

サンプリングソースにはならないというか





また、最近ヤバい人間のパーセンテージはあらかじめ決まっているような気がしている



東京にもいるんだろうがそれ以外の人が多すぎて見えにくくなっているのかも





高円寺や下北あたり

ヤバい人が多いかも





あ、CANDYに行くの忘れた