この頃、大司成の柳敬と夜別抄の金俊大将らが崔谊を殺害する事件が起こった。
夜別抄とは、崔谊が都を守るために、勇敢で機敏な兵を選抜して作った特別軍でした。
この夜別抄によって、64年間続いてきた崔氏の権力はついに倒されました。
こうして高宗は国王となって45年目に王としての権力を再び取り戻しました。
高宗45年の1258年、崔馆が殺害されると、崔氏一族の武臣政権に終止符が打たれた。
高宗は太子の僕を蒙古に送り、江華島の城壁も崩しました。
崔氏の権力が崩れると、葉古に対する高麗の態度も変わりました。
ついに28年間に7度にわたり高麗の地を蹂躙した蒙古の侵略も終わりました。
しかし、高麗の朝廷はそのまま江華島に残りました。
金俊、林衍らを始めとする三別抄軍が依然と蒙古に抵抗していたからです。
1259年7月 高宗、江都にて死去。
江華山城ができたのは1259年だった。
北朝鮮がよく見える
東西南北の門にそれぞれ守り神の象徴の動物の絵が描かれている














