ゴルミゴル徳州山城I徳州山城(市道記念物35回)『新増東国輿地勝覧』、『高麗史』などの文献の記録によると、徳州山城は百済の旧城(B.C18~A.D660)と伝えられている所で、新羅末期の徳州公主の避難所であり、徳州寺を創建した所であり、敬順王が高麗太祖に国を捧げに行った時に泊まった所だ。 高麗高宗43年(1256年)、モンゴル兵の侵入で忠州の人々がここで難を逃れていたが、月岳燦神の助けでモンゴル軍が攻撃をあきらめて退いた山城で、周囲が32,670尺で、これを捕百尺(布帛尺:寸法を測るために作った尺、単位)に換算すると約15kmを越え、4つの郭を形成している特異な山城で、忠清地域最大規模の遮断性の役割をする山城だ。
徳周山城が避難所として適した地理的条件
◯ 山谷の険しさ
◯ 一年中乾かない水が流れる長い渓谷と豊富な水量
豊富な林産資源
嶺南·湖南を行き来する主要な交通路に位置する
月岳山国立公園事務所国立公園軍団OFFICE
堤川徳周山城(南門)周山城(南門)Deokjusanseong Fortress in Jechecn忠清北道記念品Chungcheongbuk-doMonument
この山城は、月岳山の南麓にある上徳周寺を中心にして、その外角を幾重にも積み重ねた石垣山城だ。
上徳住寺の外郭を取り囲んだ上城(内城で第1郭)、上·下徳住寺を囲んだ中城(第2館、別名東門周辺)と、その外郭に下城(第3郭)があり、松界渓谷である月川の南側を塞いで積み上げた南門と、北側の北門を成す関門形式の外郭城(第4郭)棟4重にイクアジン非常に大きな規模の石城だ。
高麗高宗モンゴルの侵入時、月岳大王の加護と、月岳神社などと関連した抗蒙の遺跡地でもあり、
朝鮮中宗の時に内城を築城し、壬辰倭乱の時にも役割を果たし、朝鮮末期には明成皇后との関連があるなど歴史的な面でも重要な役割を果たした代表的な遺跡だ。












