毛沢東のどでかい詐欺 -2ページ目

毛沢東のどでかい詐欺

現代の日本にもおおいに関係する第二次大戦の処理の虚偽をあばきます。

 一泊だけしたバンクーバーのシェルター。


次の日。おまわりさんに聞いた動物保護のNPO団体を聞いて、動物を飼えるところに決まったとうそをついて、2匹のねこを取り戻しました。


 二匹のネコ・・、ナナ(15歳以上、女の子)、ミライ(2歳、男の子)といいます。

ミライのほうは、男の子なので、5,6キロぐらいありました。ナナも3,4キロはありますし。


彼らを持って歩くのは、正直重かったです。エサや必要になりそうなものも荷物を重くしていました。


ですが、もちろん、できるかぎり持っていくつもりでした。


敵は中国だとわかったところで、バンクーバーから離れようと思い始めました。敵は太平洋をぐるっとわなをめぐらしているのではないかと思ったのです。


 電車の路線図を見て、バンクーバーからできるだけ離れた駅にネコたちを持って行きました。


ポート・コキットラムという駅に行き、もう、夕方になっていましたが、ネコたちとリュックを持って、歩き始めました。


 はじめは大きな道路沿いに歩いていたのですが、わりと大きい公園を見つけました。もう真夜中だったので、公衆トイレをみつけ、そこに2匹を出して休みました。


 そのまま、あそこでもう少し休めばよかった・・・と今でも思います。


 しかし、しばらくすると、お経が聞こえてきました。


 おそらく、わたしの奥歯にはなにか、仕掛けてあるらしく、彼らは「放送」ができるのです。奥歯の義歯が取れた時、それを盗まれたので、歯に仕掛けてあったのはまちがいないと思います。


 トイレ建物の中にいると聞こえてきて、試しに外に出ると聞こえませんでした。


トイレのまわりを探検して、道があるのを見つけて、ネコを収容し、また歩き始めました。


ナナがいやがっていたのを思い出します。あのまま、少なくとも朝までいたら・・・


 私の歩いていた道はハイキングロードのようでした。荷物が重いので、一個ずつ運びました。

リュック、ナナのケージ、ミライのケージ・・・。ミライは重くて車つきのバッグに入れました。


深夜、道の正面に満月が昇っていました。月明かりのなか、ゆっくりと前に進み続けました。


長い長いハイキングの一本道です。そして進むのはゆっくりすぎました。夜も明けました。自転車で通る人たち、ジョッギングの人などが通りました。しかし、自転車や、ジョギングで往来する人はすべて、連中だったと思います。またつかまっている・・・と思いました。


そして、むかし読んだ話を思い出しました。ひとつは南の島でひとり太平洋戦争を戦い続けた日本兵の話です。彼はジャングルに隠れ、ひとり戦い続けました。最初の一日は、ちょっとも動かず、人に見られずにかくれ続けました。

 もうひとつは「イシ」というアメリカンインディアンの話です、その人は白人に見られないようにかくれんぼをして、発見されるまで一人で生き延びました。


 「人」との接触がまずいのですから、人から離れればよい。そうだ、道から離れようと思いました。


そこで、道から離れて道のそばの川に隠れました。


その時、カバン類とネコたちをちょっと離れた川のほとりにおき、わたしは、もう200メートルほどはなれたところに貴重品だけ持って、草陰にかくれていました。


 連中がさがしている気配がしました。


 わたしはじーっとかくれ続けました。


 そして、しばらくして、かばんと2匹のネコがみつけられたのがわかりました。連中がお互いに、かばんとネコがみつかった、この近くにいるぞと言い合っているのが聞こえました。


しかし、わたしはかくれ続けました。心の中でねこたちにあやまっていました。「ごめんね、生活がおちついたらきっとさがしにくるからね」


朝から隠れていて、午後3時ごろ、「放送」が聞こえてきました。


どうやら駐車場のようです。キムの声で見つかったかどうか尋ねる声がしました。


もちろんみつかりません。いらいらして自動車のダッシュボードをたたいているもの音とかしました。


隠れているところから、歩いていた一本道が見えました。ジョッギングのふりをしているひとが右から左に行き、また左から右に帰るのが見えました。私を探しているのでしょう。


自転車に乗っている人が、一人、また一人と右から左に行きました。別々に走っていたこの二人は、右から左に戻って行くのが見えました。二人とも自転車を降りて、仲よさそうに話しています。・・・ロシア語で。


 そういえば、カナダについてから、かかわった人たち、英語のネイティブスピーカーにしては、発音がはっきりしすぎていたなと思いました。かすかですが、教科書で習ったような英語が多かったです。外国人の英語は聞き取りやすいですから。彼らはロシア人だったのです。


「放送」はつづき、彼らがわたしを見つかけられずにいることがわかりました。


女性のきれいな声で、ロシアの曲らしきものを歌っていたのを覚えています。


最後にターニャが、わたしの名前を呼び「いいこでいるのよ」と「放送」してきました。連中はいったんあきらめたようでした。


もう夕方になるころ、わたしはかれこれ、一日ちかく、その同じやぶの中にかくれ続けていました。ほとんど身動きもせずに。


雨が降ってきました。