【246】50の手習い | 酔いどれパパのブログ

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「お風呂」と「酒」と「路線バス」に関する駄文を書き連ねております。

【245】で書いたように50歳にして20年勤めた会社を辞めた。


コロナ禍前から意識していた転職が今年までずれ込んだのは、プライベートでの雑事が思いのほか長引いたからに他ならないが、生来の先送り主義が影響した面も否定できない。


実は在職中の20年間に数社から転職の誘いを受けており、6年ほど前にそのうち1社の役員2人から某ホテルのレストランに呼ばれて熱心な説得を受けたのを機に、声をかけてくれた他の会社の関係者にも待遇面の具体的な内容について教えてもらうとともに、転職サイトにも一時登録して自分の労働市場での価値を調べた。


結論は「しばし動かず模様眺め」、つまり先送りだったが、その直後のコロナ禍突入やプライベートでの長引く協議などで転職活動は後回しになっていた。


それらがひと段落し転職に向けて再び動き出した頃には知命とも称される50歳が目前に迫っており、在籍していた会社に今後も留まるという選択肢を残しつつ、周囲でも話題になっていた「ビ⚪リーチ」などに登録を済ませた。


登録後すぐにCMで謳っているように「こんな会社から、こんなポジションで!?」と驚くようなメールが届くようになり、実際に自分が採用されるかは別にして、「転職市場が熱い」というフレーズが腑に落ちた。


気持ちが転職に傾きつつある日々を送っていると、まるでそれを察したかのように昔世話になった先輩から、「編集長候補の募集に手を挙げてみませんか」とメールがきた。


先輩が編集局長を務めるウェブメディアが編集長候補を募集していることは公開されていたので知っていたが、ITに疎い自分には務まらないだろうと諦めていた。


その一方で、仮に70歳まで働くと考えてみると、これまで20年以上携わってきた新聞づくりを今後さらに20年続けることに疑問が湧かないでもなく、そもそもオワコン化していると言われて久しい紙媒体の発行を主たる事業にしている会社が10年後に残っているかも怪しかった。


やり慣れた仕事を手放して新たなフィールドに踏み出すのはそれなりの勇気を必要とするが、20数年前に初めて新聞社に採用された時のことを振り返ってみると、取材や執筆に関するスキルも知識もないまま身を投じたにもかかわらず、周囲の我慢強い指導のおかげで何とか一人前にしてもらったではないか。


声をかけてくれた先輩にしても、私のITリテラシーレベルを知らずに誘った訳ではないだろうから、何とかなりそうな気もしてくる。


そんな風に自分を奮い立たせ、半ば開き直りに近い心持ちで採用試験を受けるとトントン拍子に話は決まり、今までの会社にとどまるより転職した方が生涯収入が上がることも確認できたので、勤続20周年表彰を受けたその日に退職願を出した。


その判断に至るまでには、新たな会社から示された待遇面もさることながら、20年にわたる経験を評価してもらえたことを意気に感じ、応えたいというモチベーションが働いたことが大きい。


30日以上残っていた有給休暇を消化し、拝命していた某中央省庁記者クラブの代表幹事を後任に託した上で、新たな職場に出勤すると皆さん優秀そうで50おじさんは気後れするばかり。


先輩の顔に泥を塗ることのないよう、せいぜい50の手習いに励んで、会社のさらなる発展に少しでも早く貢献できるよう努めたいと思う。

(写真は20年間在籍していた記者クラブで代表幹事を後任に引き継いだ際にいただいた記念品)