ホテルユニバースでは初めて部屋が別々になった。
ホテルを出ると、我々は最後の目的地、60番霊場横峰時に向かった。
横峰時は深い山の山頂にあるということだったので、前日に調べて
バスがあることを突き止めた。
そのバス停は山の麓にあり、それほど行くのは大変ではなかった。
最後なのにこんな楽をしてしまって、忍びない感じもしたが、疲れきっていた
我々としては、そんなことを言ってられなかった。
バス停を見つけ、発車までの間バス停の建物の中でジュースを飲んで待った。
いよいよバスの出発の時が来た。僕らを乗せたバスはゆっくりと出発し、
古い車体に鞭打ちながら、きつい山道をエンジン音高らかに鳴らし登っていった。
バスに乗って気づいたことが、やっぱりバスに乗って良かったということだ。
とてもきつい坂だったし、なにより距離が相当あった。
やっとの思いで頂上に着いた。緑生い茂る山の中に横峰時はあった。
何度も見てきた同じような光景がこれで最後かと思うと、なんだかちょっと寂しい思いがした。
横峰時では、先日あった大型バイクに乗った男性にあった。
これで最後だと伝えると、「ごくろうさま」っと言ってくれた。
そして、最後の納経をしてもらうために、納経所へ。
最後の300円を出した。
お坊さんがいつもの様に達筆に納経をしてくれた。本当にこれで最後なんだと感じながら。
二人で旅の目的を達成した。本当に長い長い旅だった。

帰りのバスまで、二人で休憩所でしばしゆっくりした。
帰りのバス停の見晴らしの良い場所で、運転手さんに頼んで、写真を撮ってもらった。
麓のバス停まで着くと、僕らは1番最初に行った61番霊場の香園寺に行った。
私がほしいと言った蓑笠を買うためだ。目的の物を買うと、香園寺にある大きな建物の中を見て帰った。
行きは中にあまり興味を示さず、見ていなかったためだ。
中も立派で近代的な感じがした。

香園寺を後にすると、僕らはまっすぐ上陸した東予港に向かった。
東予港に向かいながら、今までの旅を頭の中で振り返った。
辛くて、しんどかったけど、これでこの四国ともお別れとなるとすごく寂しかった。
フェリーは行きにも乗ったオレンジフェリー。昼過ぎに出発して、夜大阪に着く便に乗ることに決めていた。
チケットを買ってから、チケット売り場の横の食堂でご飯を食べた。
乗船時間になって、いよいよ四国の大地から帰る時が来た。
たくさんのコンテナを運ぶトラックの間を縫って、係員さんの誘導でフェリーに乗った。
フェリーに乗ると、他の人がたくさん入る前に早速お風呂に入った。
入っていると、全国大会に向かう少年たちに会った。
お風呂には大きな窓があり、外を見ていると、船のエンジン音がだんだん大きくなってきた。
出向の時が来たのだ。
ゆっくりとその重たい体を動かしだしたフェリーは僕らを乗せて、少しずつ少しずつ港から離れて行く。
窓から外を見ながら、だんだん遠くなっていく四国を眺めていた。
ずっとここを旅してきた、ずっと二人で頑張ってきた、ずっと自転車で走り回った、そんな四国がだんだん
遠くにいってしまうのが、とてもジーンと来て、すごく心が満たされた。いつかきっとまた来よう。
フェリーの中では、ロビーの窓を眺めたり、上の展望室に行って写真を撮ったりした。
夕焼けや瀬戸内の島々がとても綺麗だった。
フェリーの独特の振動とエンジン音の中僕らは、東へ東へ向かっていた。
そして、数時間フェリーにゆられていると、海の向こうにまばゆい光を見つけた。
大都会大阪が見えてきた。
今までは何とも思ったことのなかった都会の光が、四国から帰ってみると、
近未来の世界なんじゃないかと思うくらいに、今までいた四国とは対称的な世界だった。
本当に昭和から一気に平成にタイムスリップしたように気分になった。
WTCの大きなビルを見ると、ますます都会に来たと感じることができて、
都会に帰ってこれたことに、大きな安心感を得た。これでもうあの辛かった旅は終わったのだと。

南港に着き、僕らは久しぶりに本州の地に足を踏み入れ、生まれ育った大阪に帰ってこれたことを喜んだ。
行きにかざきの家から南港に行ったコースを逆走し、野田阪神を過ぎ、淀川を渡った。
そこでかざきと別れることになった。
かざきとは簡単な挨拶をしただけで、別れた。あまりに疲れていて、今思うとそっけないことをしてしまったと思う。

そこからは自分ひとりで自宅のある高槻まで帰らなければならない。
道は全くわからなかったが、東に行ったら、帰れるだろうと思って、ろくに地図も見ずに自転車を漕いだ。
ずっとずっと東へ行くと、いつしかJR新大阪駅に着いた。
大丈夫だ。ちゃんと帰れていると安心したのも束の間。
いつの間にか僕は東に向かわずに、北を延々と進んでいたようで、
気づいたときには、豊中にした。服部緑地に来ていたようだ。
まずいと思い、東に向かうと次は吹田にいた。
ここで困ったことに、吹田の丘陵地帯で迷子になってしまった。
アップダウンの激しい坂道を行ったり来たり。
途中でタクシーの運転手さんに高槻に帰る方法を聞いて、「あっちの方ずっと行け!」って言われて、
言われるがまま行っても、なんだか帰れそうにない。
そこで違うタクシーの運転手さんに同じことを聞くと、なんと来た方向と逆の方向に行かなアカンと言われた。
戻ってみても、ただ迷子になるだけ。体力の限界も近づいてきて、公園で野宿してから、明日の朝に
帰ろうかと思っていた時、とりあえず新御堂まで出れたら、R171まで出れると思いつき、
またまたタクシーの運転手さんに聞いたところ、わかりやすく道を教えてくれて、
なんとちゃんと新御堂まで出れることができた。
新御堂を北上し、R171まで出ると、後は知った道だ。
R171は家に帰れると思い、ワクワクしながら自転車を漕いだ。
その胸の高揚で、漕ぐスピードもどんどん上がっていった。
箕面、茨木、そして高槻まで来た。
いつもの駅からの帰り道まで来た。普段と違う自転車、普段と違う服装に違和感を感じながら、高槻を駆け巡った。
そして、とうとう家に着いた。
インターホンを押すと、深夜2時にも関わらず、みんな起きていて出迎えてくれた。
ほんの18日前に出発しただけなのに、もっとずっと長く感じた。
そして同時に、この18日間が幻のように感じられた。
こうして、僕らの旅は終焉を迎えたのであった。


この旅に出て、ほんの少し大きく成長できたような気がした。
大学時代の最大の思い出になったし、一生忘れることのできない思い出になった。
旅行ではなく、旅と言える旅だったと思う。
僕と旅を一緒にした自転車 CANNONDALE F5は僕の大切な宝物だ。
そして、僕と共に旅をしてくれたかざきには本当に感謝したい。
君がいなかったら、こんな良い思い出もできなかったし、つまない夏休みを過ごして、
大切な大学生活に何の思い出もなくなってしまうところだった。
これからも僕の良い友でいてくれ。
そう永遠にね。











P.S
最後の更新がこんなに遅れてしまったのは、僕のサボり癖のせいだ。
そして、旅が終わったことで無気力になってしまったこともあるかもしれない。
しかし、いざブログを書いてみると、1年ほど経っているのに、昨日のことのようにスラスラ書けた。
それだけ、僕の中で強い思い出となった旅だったんだと実感した。
今でも、たまにあの日々を思い出す。
あんなこと本当に人生で1度きりだと思う。こんな思い出を作れて僕は本当に良かった。
今でもたまに自転車に乗るけど、本当にたまにだ。
いつかまたあの日々のように、遠い所まで旅をしたいな。
今日も遅い起床だった。

朝こぎはじめて思ったのが、道後温泉やっぱスゲェーってことだ。今までたまっていた疲労がなくなり、まるで初日のように軽く足が動いた。
もう道後温泉からは寺がとても密集していて、簡単に寺を訪れられた。輪行した時瀬戸内海が見えて、その向こうに本州が見えた。早く帰りたい。
58番の札所がちょっと高い山の上にあって、途中の遍路道もあぜ道で途中から階段になって大変だった。59番へはすぐに行けた。入り口の隣にあったタオル屋さんで寺に入る時にタオルをくれた。今治はタオルの町だそうだ。寺にはエコ道後で会った男の人がいた。バイクの人や学生の人と一緒に話していた。帰りにタオル屋にあった自販機でジュースを飲んでいたら、おばあさんからおせったいと言って、500円をくれた。タオル屋のおじさんも好きな言葉を入れたタオルをプレゼントしてくれた。天下統一と入れてもらった。

今宵のお宿は東予のホテルユニバースだ。
今日はこの旅で一番充実した1日だった。
朝はゆっくり9時くらいに笛ヶ滝旅館を出た。そこから町中に出るために三坂峠を通った。この三坂峠がすごく辛かったが、そこを越えると標高700mを一気に滑り降りた。
町中に着くと、次々に寺を攻略できた。道後温泉までやってきたので、2時ではあったが、今日は早めに切り上げてゆっくりすることにした。道後温泉はとても風情ある温泉で、千と千尋のような温泉だった。皇族専用の温泉もあって、おじさんに説明してもらった。晩御飯はウロウロしながら、道後温泉の隣の居酒屋に入った。道後ビールがとても美味しかった。漱石ビールは香ばいビールで色も黒かった。
今宵のお宿はECO道後という所だ。とても安かった。大阪から来ている人もいてお喋りした。