奇跡のコースの入門書でもある、マリアン・ウイリアムソン「愛への帰還」という本を今日読み終えた。


エゴは神と一体になりたくない。私という特別な分離した自分が幻想であり虚像だとバレてしまう。問題を見つけてアレコレ騒ぐドラマやストーリーがなくなると、やる事がなくなってしまう。それは社会全体の共同作業でもある。


認めるだけで良かった。幸せ、心の平安を選ぶだけで良かった。



「愛への帰還」からの引用:


私たちが最も深く恐れているのは、私たちが不十分な存在であるということではない。私たちが最も深く恐れているのは、私たちが計り知れないほどに力に満ちた存在であるということである。私たちを最も怯えさせるのは私たちの闇ではなく、光である。私たちは自問します。「私が素晴らしく、ゴージャスで、才能があって、信じがたい存在だなんてことはあり得ない」。実際には、私ちちはどんな存在にもなれます。私たちは神の子なのです。自分を過小に評価して、その役割を演じるのは世のためになりません。他の人たちがあなたのまわりで圧倒されないように気遣って、自分を小さくすることには、啓蒙的な要素は何もありません。私たちは誰でも、子供たちがそうであるのと同様に、光り輝くことになっている存在です。私たちは自分の中にある神の栄光を顕在化するために、この世の中に生まれて来ました。それは一部の人にだけあるのではなく、全ての人にあります。私たちが自分自身の光を輝かせる時、他の人たちにも同じことをする許可を与えます。私たちが自分自身の恐怖感から解放されると、私たちの存在そのものが他の人たちを自動的に開放します。



恐れは存在しない。愛の不在なだけ。愛しか実在しない。


これが確信に変わるまでに、心理学、物理学、引き寄せやチャネリング、スピリチュアル、仏教関連、物凄い数の本を読んで様々な話を聞き、瞑想や座禅をした。


ただ心の底から認めるだけで良かったんだ。それだけで瞬時に悟りはやって来る。神や精霊の次元には時間は存在しないから。


その為に小さな奇跡を重ねていくのが奇跡のコースのワークなのだろう。


神、精霊のヴィジョンへとアトーンメント、チューニングというの修正を少しずつ重ねていく。


一瞥と言われる神秘体験は一気に修正された例なのだと思われる。現実だと思って知覚していた常識の世界が一気にヴィジョンに切り替わったらそれは神秘だろう。


奇跡のコースでは一瞥は必要ないと言っています。毎日少しずつ修正、チューニングがされていく。奇跡を積み重ねる。心の底から自分が神、仏陀なのだと認めるまでの時間。


そして本当の自己、自分の最奥無比とのコミュニケーションである、祈りはその最短距離だと言います。


「愛への帰還」からの祈りの引用を少し加筆させて頂きご紹介します。



「精霊よ。どうぞ私の人生に意味を与えてください。

あなたの安らぎの道具として私をお使いください。

私の才能と能力を、身も心も、愛を広げるためにお使いください。

私の仕事、人間関係、生活、ブログやSNS、感情、思考、全てをあなたに委ねます。

私の人生はこの世界を愛して健康な状態に戻してあげることだということを、私が思い出せるようにどうぞ手を貸してください。

ありがとうございます。」



心からこう祈れた時、瞬時に全ての問題はなくなります。とても身軽で感謝と愛に包まれる。無限のギフトですね♪


最後まで読んで頂きありがとうございます照れ


慈愛を込めて



参考リンク