何から話したらいいのだろう。最初に精神世界に意識的になったのは東日本大震災だったと思う。


今まで当たり前だと思っていた原子力発電という電力に多くの人がそうだったように疑問の種が植えられた。

当たり前だった娯楽のテレビは毎日のように異常事態を伝えている。現実への拭がたい亀裂が入った。


探求はその人その人に、何一つ無駄なく起こるべくして完璧なタイミングで起こる。全ての人は大いなる源に帰る旅なのだから。


そして2020年、コロナ禍に入ったことで、ずっと探求し続けていた旅は一気に加速したように思う。全ての生きとし生けるもの、無生物、全てが仏陀だったという体感の気づき。


当たり前の"今ここ"に全てが在った。思考と思考の隙間に仏陀や神、大いなる宇宙意志は在るということを思い出した。精霊に導かれるままに、本当の自己に催されるままに生きることは喜びであり完璧な大安心なのだと。


だが思考が帰ってくるとエゴ、自我は過去を悔んだり、未来を憂いたり、他人をジャッジしたり、身体の不快を訴えたり問題作りに忙しい。


エゴは自分は幻想だと見抜かれない為に必死だ。人生に問題があるのではなく、自分(エゴ)が問題だったんだ。


エゴや思考は色即是空、色の世界で空を伝える為のただの道具なんだ。空が我々の本体、本来のわたしであり主なのに。


主、仏性、神、精霊、ハイヤーセルフ、空、愛、言葉や概念は色々貼り付けられるけど、大いなる全体に軸足を置いて、分離した個人を生きるのが中道という新しい生き方なのだと凡夫である私は思っています。


般若心経では色即是空 空即是色と言っていますが、色の世界から空へ。そして空の世界に軸足を置いて色の世界を生きるということなのだと思うのです。


悟り、という言葉を敢えて言えば、悟った後もlife goes onなわけで身体がある以上、朽ちるまでは人生は続くわけで日々、その時その時、外側やエゴを見るか、内側に意識を向けて、精霊の愛の視点で見るのかを常に選択出来る、そして愛を見る時、自他一如あなたはわたしという優しい見方が瞬時にやって来ることを体感しています。それは感謝であり、完全な赦しであり、至福の大安心です。


そしてこれは特別なことではなく、全ての人が幸せになる為に学んできた、固定観念や社会的役割、結果指向の資本主義などのある種洗脳で見逃しているだけの、公然の秘密というのが皮肉です。


自分がいない時に幸せというパラドックス。


とてもシンプルに、無為自然に場を生きる、マインドフルネスにジョイフルに、あるがままに、どんな状況だろうと天の王国に入ることが"今ここ"で出来るというお知らせです。


長くなってきたので、今日はここら辺で。


読んで頂きありがとうございます😊🙏🏽


慈愛を込めて🙌🏽




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