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草木や街並みとの出会い

庭、草木、街並、雑貨など自宅や仕事場、通勤途中で
出会った出来事や思いなど・・・

ロール鍵盤を買って 本棚の奥に閉まってあったピアノ曲集を出して

弾いてみた。

 

長いブランクはあるがト長調メヌエットのような簡単な曲なら

問題ないと思っていたら錯覚であった。

指がほとんど動かないw

 

指の運動の為 ハノンを始めたら指がツルw

練習は楽しいが、ロール鍵盤の欠点?指力の不足?連音が頻発する。

センサーの感度に問題があるのかな?

指の運動には音を出す必要はないので当分が音無しで遊びたい

Patricia JANEČKOVÁ: がロール鍵盤を華麗に弾くのを見て欲しくなり

AMAZONに注文した。

引越しの時ピアノを処分してから約25年ピアノから離れて指が動かないと

思うがピアノの練習がしたい。

前の家は鉄筋コンクリートだったが今の家は木造で狭く、防音も皆無なので

ピアノは諦めていた。

 

ロール鍵盤なら机に置いて、ヘッドホンで聞けば問題は無いのでフルサイズ

88鍵盤を注文した。

机の幅は90cm ロール鍵盤は130cmなのでお折り畳みできるように

40cmの補助板を机に取り付けした。

ブリワックスで塗装し、自然な色にしあげた。

折りたたんだ様子

好きな曲から練習したいのでト長のメヌエットから始めることにした。

 

 

「〇〇と言えば・・・」という言葉遊びがある。

 

イタリアの観光地で有名なアマルフィをとらえて

「アマルフィと言えば・・・」で適当にブログを書いて遊んでいる。

 

「装甲巡洋艦アマルフィ」の画像が手持ちの百科事典に載って

いたような記憶があって探したけど見つからない;;

 

アマルフィはピサ級装甲巡洋艦として3隻の同型艦がジェノバの造船所で

建造された。艦名はピサ、アマルフィ、ゲオルギオス・アヴェロフ

 

それぞれの名前で探したらゲオルギオス・アヴェロフで出てきた。

ピサ級なのでピサで出てくるべきだろう!とツッコンでしまった。

同型艦は細かいところは別として全体のシルエットは同じなのでOKとする。

 

ゲオルギオス・アヴェロフは建造中にギリシャ海軍に売却された船なので

イタリア海軍で探しても見つからないのは当然であろう。

ギリシャの海軍博物館に歴史資料として保管されているようなので機会が

あれば見たいものだ。

youtubeにアップされているゲオルギオス・アヴェロフをみてUボートにやられて

沈んだアマルフィを偲んでみたい。

                    建造開始 完成      最後

1)ピサ               1905/2/20 1909/9/1  1937/4/28/廃棄

2)アマルフィ           1905/7/24 1909/9/1  1915/7/7/沈没

3)ゲオルギオス・アヴェロフ 1907/?/? 1911/5/16 1984/博物館船

 (ギリシャ海軍に売却)

 

装甲巡洋艦アマルフィの戦歴や詳細は下記のWIKIを参照

Italian cruiser Amalfi - Wikipedia

 

 

画像はThe encyclopedia of ships p-319(National Maritime Museum:Greenwich 2001)

 

 

 

 

 

昨日は7-11世紀ごろにあったアマルフィ共和国について簡単に

書いたが 紀元前500年ごろと言われているギリシャ文明の遺跡も

アマルフィ海岸にある。

 

パエストゥムと呼ばれるギリシャ遺跡は円形劇場や神殿、墓なども

残っている。ローマに征服されるまでアマルフィがギリシャ文明のの

支配下にあったことが分かる。

 

youtubの画像を見て見よう。

 

ギリシャ神殿にはイオニア式よコリント式が定番であるが ここにあるのは

古いドーリア式である。

 

イタリアのナポリの南側海岸沿いに7-11世紀ごろ存在したアマルフィ

共和国について少し書いてみたい。

 

アマルフィ海岸の西口にあり、アマルフィ共和国の港町として栄えた

ポジターノにある「黒い聖母マリア」について 昨日書いた。

 

 

続きとしてアマルフィ共和国の中心地であったアマルフィであろう。

 

アマルフィ海岸の険しい崖の下の斜面に貼りつくように小さな町が

ならんでいる。

 

西からのポジターノ、ブライアーノ、フローレ、コンカ・デイ・マリーニ、

アマルフィとアマルフィの東側に隣接してアトラーニがある。

 

アトラーニはイタリアで最小の自治体で面積は120平方メートルしかない!

私の住んでいるご町内の1班程度の大きさなので驚く。

 

現在のアマルフィは海から見ると中央にある教会の塔が目印で、聖アンドリュー

大聖堂の左側にそびえる鐘塔である。

聖アンドリュー大聖堂前の広場の周りと製紙工場がある上流入口までの

一本道の両脇が店舗などの繁華街で、残りは急斜面に並んだ住宅と

細い路地。

 

急斜面から眺めた海岸の美しさがアマルフィ海岸の魅力で、イタリアの

有数な観光地になっている。

 

紀元前はローマ帝国貴族の保養地として別荘などが並んでいた。

後ろの山脈の裏側はヴェスヴィオ火山の噴火で壊滅したポンペイがあり、

火砕流は山脈を超え保養地は破壊され放棄された。

 

339年イスラムとの交易をする商人たちが住み始めローマ帝国の商業都市になった。

839年 アマルフィも独立し共和国となった

897年ナポリの支援を受けたソレントが侵攻し破れた。

903年ナポリと連合してアラブの支配下にあるガエタを攻めたが撃退された。

931-983年サレルノ公国を支配

1034-1039年カプア公国を支配

1073年ピサの斜塔で名高いピサに敗れ支配される。

1096年反乱

1101年反乱は鎮圧された。

1131年軍事力低下でノルマン人に略奪にされていたが シチリア島の王

     ロジャー2世の勢力拡大でノルマン人の脅威が減少した.。

1133年ローマはシチリアを攻め、ローマの同盟国のピサは再びアマルフィを

     攻撃し、再度敗れ、ピサの支配下になり共和国は消えた。

1343年大津波で大被害

 

画像は下記の無料画像サイトUnsplashから貰いました。