BSN - Business Study Network
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第9回BSN研究会開催概要

永らくお待たせしました。
下記の通り開催内容が決まりましたのでご連絡します。
お誘いあわせの上、奮ってご参加下さい。


             記


■場  所■立教大学池袋キャンパス 12号館地下1階第1第2会議室

■日  時■4月26日(土)
        14:30 受付開始
        15:00-18:00<第一部>講演会
        18:00-20:00<第二部>懇親会

■講演会概要■

1. 「新規株式公開IPO(Initial Public Offering)と挑戦への道-企業の競争優位性-」

   新光証券株式会社投資銀行本部 企業金融第二部 須賀 宏典氏

2. 「ベンチャー投資について~ベンチャーキャピタルから投資を受けますか?」
   あおぞらインベストメント株式会社 投資営業第四部 次長 井上 裕司氏

3.「TOKYO MARKET NOW -株式新規上場の動向及び上場審査のポイント-」
  東京証券取引所上場部上場推進室新規上場サポート担当審議役 及川 清氏

講演者の都合によりタイトルは変更される場合もございますので、ご了承願います。
参加資格に制限はありませんので、是非ご友人をお誘い合わせの上、ご参加ください。

尚、今回は、講演会費として¥1,000-を当日会場で集めさせて頂きます。
講演会後に懇親会(会費別途)を予定しております。

★ご質問、お問い合わせは、info@bsn.ne.jp 第9回研究会実行委員(坂野、井手)までお願いします。



BSN研究会
井手



北見の広報論講座(7) 危機管理の本質

稲盛名誉会長の話の中に、「うそ」をついたり、「欲張ったりしてはならない」、単純なプリミティブな教えこそが、まさしく危機を事前に防ぐ一つの手段になりうるという言葉があった。まさにこれこそが危機管理の本質といっても良いであろう。

危機管理の本質は、まさに小学生でも分かるような、「うそ」をついたり、「欲張ったりしてはならない」という単純なプリミティブな教えであろう。

たしかに企業には利益が必要ではあるが、法律はもちろん、社会の倫理を犯してまでも、利益を得る必要はないはずである。

「コンプライアンス経営」の著書である立教大学大学院田中教授は、次のように企業に期待されているものを述べている。1)

「企業は社会的責任を果たすことが期待されており、社会の公器としての役割を持つ。企業はまず、①適正な利益の追求、雇用の確保、効率的な経営などといった経済的責任を果たすことは当然である。法律に基づき設立された企業は、法人として、②商法、会社法、銀行法などの法令、規則の遵守といった法的責任を果たすこともまた当然の義務である。さらに③企業の良き市民性を考えると、メセナ、フィランソロピー、地域貢献などといった社会貢献的責任を果たすことを望まれている。そのうえで、企業として、④取引の透明性、人間尊重、公正かつ誠実な行動といった倫理的責任を果たすことも、社会から強く期待されているのである。」

先ほどの単純なプリミティブな教えを企業に当てはめるならば、「企業の社会的な責任を果たす」ということであろう。これが企業にとっての危機管理の本質なのではないだろうか。

1)田中宏司、「コンプライアンス経営」、生産性出版、1998年10月


北海道大学

大学院国際広報メディア・観光学院

助教 北見幸一

1.CSRとは何か

 21世紀に入ってから、特にCSRという言葉がよく使われ、様々な観点から議論が行われている。しかしこのテーマは極めて広い範囲や、見方、考え方を含んでおり、人によって言葉の使い方もまちまちである。

 改めて、筆者自身が考えるCSRについて考え方を整理し、会社経営の一環として、現実的、実務的なCSRを構想していこうと思う。

 出発となる問題意識は、簡単に答えはみつからないことを前提にした上で、やはりCSRとは何か、というところから始めたい。日本語では通例として「企業の社会的責任」と訳されるが、これはどういうことなのだろうか。

 企業の社会的責任といったときに、「企業」は主体そのものであり、法的にも定義され得るし、特に議論を待たないであろう。いわゆる会社という解釈で十分である。

 また、「社会的」という意味は、ことさら厳密さを求める必要はなく、特定の何かというように限定するのではなく、世の中全般に対して、といった理解で良いと思う。

 問題は「責任」をどう理解するのか、ということである。

 ありていではあるが、辞書的な意味を踏み台にしよう。

①自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。②自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。③法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。(大辞林)

ここから考えるに、責任という意味については、大きく二つに分けて考えることが妥当だろう。一つは、「義務」に属するものであり、果たさなければならないこと、それを怠れば、責めや制裁を負わされる、という側面。

もう一つは、果たすべき役割や「任務」に属するものであり、それを履行しなかったからといって責めを負うわけではないが、理想的とは言えない、という側面である。

現実の問題を考えるときに、この二つをきっちり分類して線引きをすることは必ずしも容易ではない。どちらともとれるし、人によって判断が分かれることも多々ある。しかし、議論を進める上で、特に優先順位を付ける上ではこうした分類と理解は有用であると思う。

 さて、この義務と任務という二つの側面のうち、前者の義務については、比較的結論が合意し易い。その際たるものが、法律を守る、いわゆるコンプライアンスという部分である。法律は定義されるものなので、それを守っているのか否かについて、ある程度明確に線引きができる。従って、企業として何をしなければならず、何をしてはいけないのかについての結論が得やすい。

 しかし現実の企業においては、特に関与する人間が多ければ多いほど、「してはいけないことをしない」という当たり前のことを、実際に履行することはそれほど容易なことではない。経営者自身が分かっていながら、というのは論外にしても、法律は多岐多分野に渡り、全てを知る者はいないので、知らず知らずのうちに違法の分野に踏み出している、ということも起こり得る。また経営者が意図していなくても、現場で固有の力学が働き、違法と知りながらやってしまう、ということもあるだろう。

 義務に近いが法律に違反するわけではない、という領域はいささか難しい。言葉にするとすれば、倫理的な義務ということになろうか。昨今メディアで騒がれている一連の企業不祥事は、実はこの領域で起きていることが多い。

 例えば、食品の賞味期限切れの問題は、多くの場合自主的に設定した賞味期限を、自主的に付け替えて問題になっている。商品として問題はなく、中毒などの被害者を出したわけでもない。この場合、法的な観点から違法と認定し、刑事と民事のどちらの点からも、責めを負わせることは難しい。しかし社会的には、やってはいけないこと(義務)を果たしていないという認識を持たれてしまう。

こうした事例を考えれば、企業としての義務の範囲には、法律に限定しない、倫理的内容も含まれると整理しておくべきだろう。ここを逸脱すると、重大なレピュテーションリスク(評判の悪化)として跳ね返ってきてしまう。経営者は、自社にとってあるべき倫理の範囲は、十分に意識し社内に浸透させていなければならないということになる。

 次に義務と任務のうち、後者の任務について考えてみよう。企業の果たすべき役割や任務とは何だろうか。この問いを言い換えれば、企業とは何のためにあるのか、ということになるだろう。これは創造的に考えれば、果てしなく広がりを持つことになる。

 ある程度まとまりのある議論にするためには、誰に対しての役割・任務なのか、ということを考える必要がある。なぜならば、企業に関わる立場によって、企業に求めるものが当然変わってくるからである。となると、次に考えなければならないのは、企業に関わる立場、いわゆるステイクホルダーが何か、ということである。

 一般的に企業のステイクホルダーとは、次のようなものが挙げられる。

  株主・従業員・顧客・ユーザー・取引先・国や自治体・(地域)社会 等

 確かにこれらステイクホルダーは、それぞれの経済性や価値観をもって企業に関わっているのであって、企業はステイクホルダーごとに違う役割や任務を併せ持っている。個々には論点も多数存在するので、細かい検証は後述することにする。

ここでも難しいのは、ステイクホルダーが実際に誰かがはっきりする場合とそうでない場合が存在することである。例えば、「株主」は株主名簿に誰のことを指すかが書いてある。従業員は、従業員名簿に書いてある。しかし社会は誰のことかと考えると、はっきり誰とは言い切れない。つまり対象をはっきりさせることすら難しい中で、どんな任務を果たすべきかを議論しなければならないのである。結果的にあるべき任務の中身も、極めて多岐に渡り、むしろ企業自身の考え方や価値観の議論に帰着することになるであろう。

もちろん対象が特定できたからといって、そこへの任務が簡単に特定できるということではない。あるステイクホルダーに対して、どのような任務をどの程度負うべきなのか。大いに議論が必要であろう。

 こうして考えてみると、CSRとは企業自身のあり方や存在意義をどう考えるか、ということに他ならない。そしてそれを企業としてどのように実際の行動に結びつけるのかが問われるということである。

 次回から、一つ一つ考えを整理しながら、この茫漠とした命題に少しでも答えを与えていきたい。  (永岡)


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