テーマは、神仏習合と廃仏毀釈。

なんて固いテーマでしょうか。奈良生まれの(=^・^=)なので、友達とのおしゃべり散歩のコースは東大寺、興福寺、春日大社。、ちょっと集まって草野球しようといえば、平城宮跡!

当時は建物が何も復元されておらず、本当に何もない広い土地でした。


そうやって歩きながら、ここは、神社、こつちはお寺。神社では、拍手。お寺では合掌してお参り。間違えないのが偉いと思っていました。それにしても、随分入り組んでいて、お寺の塀の中にも鳥居があったりするんです。

文学好きなくせに、日本史は選択していなかった私、最近やっと、学びました。お寺の中の神社は、お寺を守る神様である事。仏様は神様が姿として現されたという信仰があった事。

江戸時代までは、それが普通であった事。欧米列強が一神教なのを明治政府が真似して、廃仏毀釈なんて言い出して、さまざまな混乱と悲劇、国宝の海外流出が起こった事。


そして、以前からの疑問が一つ、解決しました。

奈良県には、バチカンと並ぶ宗教都市があります。明治時代に生まれたその宗教は市の名前にもなっています。奈良最高の病院、図書館。そして学校。高校は甲子園の常連校として有名ですし大学には飛び込み台のあるプールと50メートルプールに、各種スポーツ競技場。長い間、奈良県で最高の施設は、その宗教都市にありました。もちろん、信者以外でも利用できましたから、確執や対立はわたしが知っている限り感じた事はありません。ただ、なぜ、そこに? 

邪馬台国の候補地にもなるほど古い歴史のその土地になぜ?そんな大きな新宗教が根付いたのでしょうか?


その答えは廃仏毀釈でした。大きなお寺があったのです。「西の日光」とまで言われて栄えた絢爛豪華な内山永久寺。ただ、「豪華」であったという事は、信仰からはかけ離れていたのかも知れません。地元の人々の崇敬を集めていたという様子ではなかったのかも知れません。

廃仏毀釈の流れにあっても、守られた寺院もたくさんあったのですから。

残念ながら、内山永久寺は、勤王派の僧による内からの破壊と、地域住民からの破壊と略奪にあい、跡形もなくなってしまいました。いくら時代の勢いとはいえ、日本最大規模の寺院の消失は、人々の心に大きな穴を空けてしまったのではないでしょうか。

その、ポッカリと空いた穴を埋めたのが、新しい宗教だったのかなと、思います。



 ここまでが、今の所の(=^・^=)の知識です。もう少し勉強したいです。



そして。今月、現在の地元のまつりを見て、面白いことに気付きました。、次の記事にしますね。