グータラアベニュー -3ページ目

ぶつぶつと

時々思うんだ。




自分、とんでもない悪魔なんじゃないかと。




人を大事にしたいと思いつつもどこかでないがしろにしてるんじゃないか、とか。




とっくに忘れてもいいはずなのに、どこかですごく憎たらしく感じてしまうとことか。




ま、いっかって思ってることが、実はとんでもないことになってるかもしれない、ってとことか。




自分がされたらどこかで虚しさを覚えてしまうことを、平気でやってしまいそうなとことか。





とある診断で、一番ないがしろにしてるところに「愛情」ってあった。




自分には「愛」がない、そういうところ。




愛の代わりに道徳や倫理感で人を縛ってる。




人にいろいろと世話になってるはずなのに、ちょっと道から逸れたことをされると、それですごく人を憎んでしまう。それ以上の感謝があるはずなのに、何かがズレると許せなくなる。自分でも的外れなことをしてる時あるはずなのに、人にされるとすごく憎んでしまう。




自己中が嫌いとか言ってる割に、結局自分も自己中になってそうな気がして。




僅かでも「愛情」を分けてもらってるはずなのに、それを分けてもらうことばっか考えて自分は何をしているのだろうか。愛ではなく形式、常識、道徳…それに縛られているのだろうか。




人の愛は欲しいくせに、自分は少しでも愛を分けたことがあっただろうか。ただ単に自分の倫理観を押し付けてるだけじゃなかろうか。すごい冷たい人間なのかもしれない。




優しくなんかない。いい人でもない。常識から外れたことが嫌いなだけだ。




自分も常識から外れたことしてるかもしれないのに。






愛すること、愛されることって何?




押し付けでも、憎しみでもないよね。




感謝、信頼。




自分に足りてるだろうか。






愛なんていらねぇよとか言いつつも、結局どこかで愛を求めてしまってる自分。






それでも…やっぱ人を信じたい。



もっと人を好きになりたい。



憎しみなんか覚えたくない。



もっと笑って接していきたい。



嫌なことなんか忘れて、楽しくやっていきたい。



もっと人から大事にされたい。



もっと心に余裕を持ちたい。



メロスとセリヌンティウスみたいに、どこかで不信感や憎しみを覚えたことがあっても最終的には抱擁で和解しあえるような、そんな信頼をしたい。





わけのわからん文章で申し訳ない、課題頑張るよ。