代々木上原で産声を上げ、3年目に奥沢に移り、5年目に自由が丘に移った創業期の13年間、
その後五反田に移転して12年、そして今年5月の築地の聖路加タワーへの移転、
会社に干支があるとすれば申年近辺で移転していることになります。
1986年に3名でスタートしたソフトハウスは、現在独立系IT会社としてグループ400名を有するグローバルな企業へと成長しました。
ブライセンベトナム120名、ブライセンミャンマー15名、JJU(韓国)20名と海外事業所が155名、ブライセン本社にはベトナム人8名、ミャンマー人7名、中国人1名と日本以外の国籍を持つ人が171名で全体の42%を占めます。
思い返せば一番の転機は五反田に引っ越した時だった。
自由が丘という小さな町から山手線の内側に引っ越し、ワンフロアー190坪ながら多くの社員はオンサイト派遣、社内には管理部門を含めて20名ほどしかいませんでした。
会議室はガラガラ、事業体制も移行期で毎日頭が痛い日々でした。
五反田に来る前もそうでしたがブライセンという会社は本当に多くの挑戦と失敗を重ねています。
ただ、30年間経常赤字を出しているのは1回だけと見た目の成績は悪くありません。
五反田ビルの190坪の賃借料は自由が丘時代の家賃と利益を足したぐらいなので、同じ仕事をしていたら利益は出ない。
とにかくがむしゃらに頑張った。
その結果30周年を期に築地の聖路加タワーに引っ越しました。
何が良かったのか、失敗を恐れずに実行することだと思う。
いつもチャレンジして多くの経験を積み重ねてきました。
今も色々なチャレンジをしています。
今は五反田時代と違って毎日8時には会社に来ています。
朝型人間に変身したのは聖路加タワーで朝日を浴びてエネルギーをチャージするためか、高額家賃が目を覚まさせるのか、いずれにせよ次の引っ越しが12年後だとしても挑戦は続きます。
社員が今よりも更に充実した環境で、安心して、さらなる挑戦を続けられる会社を目指したい。リストラなどすることなく。