さすらい英語教師ケンの「英語教育ぶらり旅」

さすらい英語教師ケンの「英語教育ぶらり旅」

東洋が生んだ2大ハリウッド・スター「ブルース・リー&高倉健」をこよなくリスペクトする私ケンが、「熱く燃えた英語教育半生記(反省記?)」と「ささやかな今のエンジョイ英語生活」を日々綴ります。末永くご愛読&コメントをどうぞよろしくお願いします。

平成28年(2016年)8月8日(月)より、本ブログの「英語バージョン」を "Lang-8" というSNSで公開しています。さまざまな国のみなさんと、互いのエントリーを読み合い、互いに添削し合い、コメント交流も楽しんでいます。よろしければ、そちらもぜひご一読ください。コンテンツ&グラマーを同時に楽しんでいただけるでしょう。
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役割なきところで何かをしたとしても。

「みんなの役割は誰の役割でもない」。

「みんなの責任は誰の責任でもない」。

そんな混乱が次々と起こるのが関の山。

「役割分散」は「制度崩壊」の引き金。

あやふやな役割なら決めない方がいい。

私はそんなこともときに経験しました。

役割の有無、さらに役割の自覚の有無。

そこが集団や組織はもちろん、制度の。

維持発展にも大きく関わってくる例は。

古今東西、枚挙に暇がないといえます。

 

しかし、学校や世間には「みんな教」。

すなわち、「みんなで」という言葉が。

思った以上に幅を利かせていることが。

この時代になっても少なからずあって。

「みんなでやる」とかけ声が上がれば。

「みんながやる」と思う人間が生まれ。

その分だけ仕事に穴が開いていくのが。

私が今日まで見聞していた世の常です。

「みんなで」の個々の解釈は千差万別。

状況で「みんなで」に入るかを決める。

そんな手前勝手な「みんな教信者」は。

仕事の際の「みんなで」には入らない。

分配の際の「みんなで」には割り込む。

みんなが仕事、されど、みんなで分配。

自分は分配に与かることだけ考えます。