鎌倉散策のアウトドア講座に参加しています。
今日は,本当は別の場所(建長寺や鶴岡八幡宮の背後の山の中)を散策する予定でしたが,雨がひどくて危険ということで,急きょ変更して,深沢地域を散策することになりました。
大船駅から京急バスで,「老健かまくら」で下車しました。
道が急に下っています。深沢は,昔は大きな湖があったという伝説の場所です。
以前は深沢村がありましたが,昭和23年に鎌倉市に編入されてから,地名は残っていません。
鎌倉時代後期,新田義貞軍が鎌倉を攻めた時,北条一門で執権の赤橋守時と,この地域で激戦があったそうです。(洲崎合戦)
上の写真は,洲崎古戦場の碑です。
これは,泣塔とやぐらです。かっては,JR大船工場の敷地内にありました。
洲崎合戦の戦没者の慰霊のために作られたそうです。
泣塔は,付近のの青蓮寺に一時預けられたとき,すすり泣くような音がしたことから,この名がつけられたのだそうです。
以前は,ここに旧日本海軍の工場があったそうですが,その時この塔を撤去しようとした人が次々の不審な死を遂げたという伝承もあります。
寺内には,洲崎合戦のものと思われる小さな石塔がたくさん集められていました。
立派な四脚門があります。
大慶寺の寺内には,樹齢700年のビャクシンがあり,鎌倉市の天然記念物に指定されています。
駒形神社の境内から,腰越方面を見渡すことができます。手前が深沢地域です。
天照山東光寺,真言宗のお寺です。
寺内には,弘法大師の石像があり,四国八十八か所お砂踏み霊場があります。
梶原景時は,このあたりに住んでいたそうです。丘の上で,昔の街道沿いだったようです。
鎌倉には,御霊神社が二つありますが,こちらは深沢地域のものです。
鎌倉権五郎景政をお祀りしているそうです。
景政は,梶原氏の祖先で,梶原氏と縁が深いそうです。
もうひとつの御霊神社である坂ノ下の神社は,この神社を移したものとも言われています。
梶原景時は,石橋山の合戦で頼朝を助けたことから,頼朝に重用されましたが,頼朝の死後,追放されて,一族は滅ぼされてしまいました。
梶原氏に縁がある木のようです。
小学校の校章は,この木の葉をモチーフにしているそうです。
ここで,解散。
湘南モノレールの湘南深沢駅から,大船へ戻って,帰りました。