キハ45系。
実はこの名を名乗る車両としては2代目だとか、47のようで47じゃない何かだとか、なんだか国鉄気動車史においては影が薄めな車両。
この車両は各地にバラバラに配置され、結局90年代までに多くが姿を消してしまいました。
ほぼ同期のキハ58系が、2000年代半ばまで現役バリバリだったのとは対照的な本系列。
ほとんどの車両が非冷房・ワンマン非対応でその生涯を終え、どう走っていて、どう使われたかの記録も少ない。
そんな不遇を囲ったキハ45系。
JR九州のキハ45系最末期には、長崎・直方・熊本・鹿児島への集中配置がなされていましたが、今回は概論的に、彼らの生涯を振り返っていきましょう。
1987年の国鉄分割民営化時点での、承継車両とその配置は以下のとおりです。
直方……キハ45形 8両
キハ23形 3両
大分……キハ45形 2両
キハ53形 2両
鹿児島…キハ53形 2両
この当時は直方区に集中配置されており、とくにキハ23形は九州島内の全車が集結しています。
大分区のキハ45形は半室簡易郵便車の600番台の2両。そして鹿児島区のキハ53形は100番台の2両。
いずれも九州島内のみに生息する番台でした。
この当時は筑豊本線・篠栗線は全線非電化。上山田線や宮田線、伊田線、糸田線、田川線などの国鉄時代はギリギリ耐えた特定地方交通線の廃止や三セク転換を控えた時期で、直方は気動車大国。
キハ58系をはじめ、キハ35系、キハ52形、キハ66・67形などが活躍する地域でした。
しかし、これらの路線が転換されていく中で、キハ45系は各地に散り散りになります。
1988年に、直方のキハ45系は半数が長崎に転属。
大分のキハ45 600番台はなぜか唐津に転じました。
また、キハ23形も2両がそれぞれ南延岡と熊本に転属。キハ45系の最大のねぐらだったはずの直方は、気づけば他区とあんまり変わらない両数の所属数にまでなりました。
1989年には、唐津のキハ45 600番台が大分に帰る一方で唐津に2両が転じます。
キハ23形は南延岡からの配置がなくなり、熊本に2両、直方に1両の陣容になります。
1990年、JR化後初の休車が唐津で発生。その代わりに1両が唐津に転じているものと思われます。
キハ23形は直方に最後まで残った1両が長崎に転じます。彼女の直方時代末期の写真はほとんど宮田駅に止まっている姿なので、宮田線の廃止によって長崎に異動となったのでしょう。
また、熊本の1両が唐津に転じました。
1991年、唐津からキハ45系が撤退。全車が直方に帰る反面、唐津区の保留車だったキハ45 25が廃車になります。
1991年末時点では……。
直方……キハ45形 4両
キハ23形 1両
長崎……キハ45形 3両
キハ23形 1両
大分……キハ45形 2両
キハ53形 2両
熊本……キハ23形 1両
鹿児島…キハ53形 2両
……の陣容でした。
大分・鹿児島に腰を据えるキハ53形とは違い、各地を転々とし「ピンチヒッター」的な活躍をしていたキハ45系でしたが、翌年以降廃車が急速に進行します。
1992年はJR九州にとって大変革の年でした。
92年3月改正で大村線にハウステンボス駅が開業し、特急「ハウステンボス」の運転が開始されます。
これに続く7月の改正において新系列・787系の登場と特急「つばめ」の新設。
久大本線・豊肥本線の急行「由布」「火の山」が特急に転換され、同線のキハ58系が長崎大移動を開始したこの年。
キハ45系は7月の改正で一気に運用を失います。
1992年4月の時点で、直方のキハ45形3両が長崎に転じ、長崎では3両が保留車になります。
長崎は九州のキハ45系最大のねぐらになりました。
そして迎えた7月の改正で、長崎・大分のキハ45系は全車が運用を喪失。
保留車の3両が直方に移動し、熊本のキハ23も人吉に移動します。
大分で安泰の暮らしを送っていたキハ53もこのとき運用を離脱しています。
1993年にかけてキハ45系列は処分が行われ、93年4月までに各地のキハ45系列は次の車両を残して廃車になりました。
・キハ23 28(直方)
・キハ45 22(直方)
・キハ45 54(長崎)
92年7月の改正では運用を失わなかった鹿児島区のキハ53は93年3月に廃車。
これらの残された3両のうち、運用があったのは直方の2両だけで、長崎の1両は保留車ではありました。
しかし、この車両にはビール列車になるための改造が施されたようで、93年夏に使用するつもりだったのではないかといわれています。当時長崎にはイベントに使える車両がいませんでしたしね。
ですが、93年の夏は……記録的な冷夏だったわけで……実際に使用されたかは不明となっています。
多分使われてないですね、こりゃ。
結局改造されたにも関わらずこの年にはキハ45 54は廃車になっているようです。
1995年に、直方の2両がとうとう廃車になり、九州島内からキハ45系列は絶滅することになります。
こうしてみると、やはりキハ45系は流浪の車両であることがわかります。
ある程度の運用は残された写真から推察が可能ですが、彼らはキハ47形のような車両の代役として走っていたような形跡が多く見られます。
最末期にキハ45系の巨大なねぐらになった長崎においては、キハ47形の代わりとして走っていたようなきらいがあり、キハ47 + 45 + 47のような編成が多く見られます。
各地の車両の不足やピンチに出張ってきて、ちょろっと走って帰っていく。
九州島内のキハ45系の動きは、さながら直方拠点の人材派遣のような雰囲気が強く、入れ替わり立ち替わりであちこちに移動しているように見えます。
正直、研究の難しい形式です。
2025年12月の鉄道ピクトリアルに、本形式の詳細が書かれていますので、もしよければぜひ。
というか、この文章もそれを参照して書いています。裏付けが欲しかったんですよね。
まァとにかく、みなさんも今月発売の素晴らしいバイブルで、よきキハ45系ライフを!