日曜日の夜は嫌い。
寂しくなるから。

時計を見ながら思い出す。
昨日のこの時間に来て、ベルを鳴らしてくれたこと。
ご飯作ったら美味しいって言いながら食べてくれたこと。
冗談言ったり笑いながら、その腕の中でぎゅーって抱きしめてくれたこと。
優しくキスしてくれたこと、とか。
全部1人ぼっちで思い出す。
あなたが帰った後の夜は、いつも以上に孤独を感じる。

部屋の中に、あなたが居た証拠を探す。
律儀なあなたは、私の部屋に自分の物を置きっ放すことはしない。
でも布団に入ると、あなたの残り香がする。
そう、私の大好きな匂い。
枕に顔をうずめたり、布団を抱きしめながら、前の日のことを想う。

でも1人布団の中で、側にいてくれた時のことを思い出すと、幸せな気持ちになる。
時間が戻って欲しい。
そしてそのまま止まってしまったらいい。

一緒にいるときは、楽しくて、嬉しくてあっという間なのに。
何週間も続く忙しい毎日の後に、一回だけ訪れる幸せな週末。
休みの無い私たちは、束の間の幸せを楽しみに生きている。
あなたに想われて幸せだと心から思う。

だから
あなたが帰った日の夜は、少しだけ時間が長い。
あなたが私の部屋に来て、帰った日の夜は嫌い。

例えばの話。


人がもし、自分が望まれずして生まれてきたと知ったらどうなるだろう。

もがいて苦しんで、どんな手を使ってでも何かを呼ぼうとするのではないだろうか。

人を疑い、人を責め、自分を責め、そして自分の存在意義を探そうと必死にもがき苦しむのではないだろうか。


成長する過程で、多くの人は自分の中に仕切りを作る気がする。

それが自分を守る確かな方法であるから。

純粋なままに生きることは危険で、そして時に残酷であるということを、身を持って悟るから。


したたかに生きることが、生きる術ともなる世の中。

純粋に待っている小さな命が多くある。

何かを疑うことを知らず、責めることを知らず、

自分の生まれてきた意味を疑うことなく、ただただ待っている小さな命がある。


羊の毛の毛布の上で。

ペットショップのショーウィンドウで。

とある街角の段ボール箱の中で。

コンクリートと鉄の格子に囲まれた薄暗い箱の中で。


それは、何の罪もないペットたち。


幸いにして、うちで飼っていた仔は「家族」を得ることができた。

毎日食べるものがあって、毎日外を歩くことができて、毎日抱きしめてくれる人がいて、毎日暖かい温もりの中に居場所があって。

そして信頼する家族の腕の中で最後を迎えることができた。


そして私は彼女が死んで、初めて知ることができた。

彼女を火葬してもらったその施設に、月に何回か連れてこられる仔達がいる。

その眼は皆、どこか悲しくて、とても優しい。

何かを信じたくて、でも不安そうにまっすぐ見つめる二つの眼が、心に突き刺さる。

そのたびに私はとても苦しくなる。


世の中には、1日に生まれてくる命よりも多く、人の手によって消えていく命がある。

たったボタン一つで、たくさんの命が消えていく。


きらきらして、まっすぐに見つめるその眼が消えていく。


あるお母さんのお腹を痛め、その母体で月日をかけて大切に育てられ、そして必死に生んだその命たちが、機械にとりつけられた、たった一つのボタンでまるでリセットされるように消えていく。


一時間前まで暖かかったその体は消え、その後に残る白い粉と無数のかけらが無言で訴えかける。


そして人は後悔する。

それを見て初めて後悔する。

失ったものと、その罪の重さに初めて気づく。


もう少し、彼らがずるかったら、もうあとちょっと彼らが邪悪で獰猛であったなら、こんなにも苦しく思わないのにと思う。

しかしその大半は、純粋で賢くて、優しいきれいな命なのである。


そんな彼らを救うためにできることは、一体なんだろうか。

こんな悲劇を減らずためにできることは??

http://www.youtube.com/watch?v=eO00WUeATFM

私が19になる歳のちょうどこの時期。(正確にはあと一週間くらい後だが)
なぜかこの曲にはまって、歌詞を覚える位に聞いていた。

そんなとき、電話が鳴って聞こえてきたのは、親友の泣きじゃくる声だった。
彼女が何を言っているのか、わからなかった。私も彼女も、事実を受け止めようと必死だったんだと思う。そのとき、私が彼女に何を言ったのか全く覚えていない。ただひたすら私は「どうして?どうして?」と言い続けていたらしい。そして、言いながら自分も泣いていた。

他の仲間に連絡しなきゃと思って、番号を押す手が震えた。そして、いざ話そうとすると言葉にならなかった。言葉にするのが苦しかった。

最後のお別れの時、何も話さない彼の顔を見て、ただ泣くことしかできなかった。中学卒業後も、会うたびに冗談を言っていた。大声で私の名を呼びながら手を振ってくれた。そんな彼が私にくれた最後のメールは、「俺も頑張るから、○○さんも頑張ってね。」だった。

私は彼と特に仲が良かったというわけではないかもしれない。中学卒業後、皆で集まることはあったが、個人的に会ったりということもなかった。でもやっぱり、同じ目標に向かって一緒に戦っていた大切な「仲間」だった。よく部活の皆で悪いこと、馬鹿なこともいっぱいやった。私もめちゃくちゃやっていた。でもその時はその時なりに一生懸命だった。当時の部のメンバーもやっぱり、私の中では特別である。そんなキラキラした、楽しかった思い出がある。

彼とは幼稚園から中学まで一緒で、小学校のころは放課後にジャングルジムで一緒に遊ぶメンバーだった。そして彼は、小さい頃から、お母さん思いだった。小学1年の時だったと思う。彼のお母さんが彼のための買い物をした帰りに、交通事故にあったことがあった。お母さんは怪我ですんだので、命に別状はなかった。いつもは強がりな彼が、道徳の時間にその話をして、こっそりと泣いていた。

生き物が大好きな彼は、いつも生き物係。普段はやんちゃで、悪いことばっかして先生に怒られてるのに、花や動物の世話は誰よりも丁寧だった。

私がアメリカから帰国して最初に登校したとき、一番に私に気づいたのも彼だった。大声で皆に言って騒ぐから、いろんな子が集まってきてびっくりした。恥ずかしくてその場から走って逃げたかった。

彼がいなくなったと聞いた瞬間、忘れていたそんな小さなことを沢山思い出した。自分がどんなに大変でも、周りを明るくしてしまう。とても優しいのに、そんなこと態度にも見た目にも出さない。そんなイメージだった。

私が当時聞いていたこの”Goodbye”はspice girlsが友達(独立する元メンバー)への餞とした曲である。奇しくも、私にとっては大切な仲間の一人であった彼への、さよならの曲となってしまった。

彼が天国に行ってから、毎年この時期になると彼や中学当時のことをよく思い出す。なんとなく、この曲が聞きたくなる。そして元気をもらう。生きていて大変なこととか、辛いことって沢山ある。でも、生きているだけで、チャンスは無限大にあると思う。生きたくても生きられなかった人たちから見たら、贅沢な立場なのだ。私の都合良い解釈だけど、最後のメールの「頑張ってね。」はそう言ってるのかもしれない。だから、下手くそでも失敗ばかりでも、ちゃんと生きようと思う。