自殺未遂が多発してるのは
歌舞伎町の住人でなくてもご存知ですよね
僕は先日、従兄弟の結婚式で
2年半振りに実家に帰省して
その翌日に別の親族の納棺を見届けてきました
この話がどう繋がってくるのか?
長文になるので
普段はTwitterで色々呟くのですが
今回は久しぶりに
ブログで投稿させて頂こうと思います
これは日記のようなものであり
ただの独り言であり
僕個人が感じた思いであり
今回のブログを読んでくれた人に何か
前向きな気持ちの種が
育まれてくれたらいいなと思って綴る文章です
結構長文になるので
長文苦手だなという方は
お引き返しください
前置きはこれ位にして
10月の3日間の僕の行動と
感じたことを綴っていきます
12日~14日の3日間お店からお休みを頂きまして
12日前乗りで実家に帰ってきました
前乗りの理由は従兄弟の結婚式で
受付を任されてたからです
地元の駅には深夜11時位に着きまして
2年半振りに車で迎えに来てくれた親父と再開
実家に向かう途中で
母方の親族が癌で今夜(12日深夜)が峠という話を聞かされました
50歳
2年半前に会ったときは
とても元気に振る舞っていた女性が
今、病で生死の境をさまよっている
衝撃的でした
うちの母は58歳
去年糖尿病を煩って
今は付随して視力が悪く
眼の治療も行っています
いつも自分が何をしていても
応援してくれている最愛の母です
そんな母より8歳も若い女性が
そんなことになっていたのを
知らされた事に衝撃を覚え
感慨深く帰宅しました
帰宅して間もなく訃報が届き
看取ること叶わず
その時はただその方の死を受け入れ
甦ってくる想い出の記憶と共に夜を明かしました
13日
12日の訃報から間もない時間
故人ばかりを想う暇もなく
朝早くから結婚式の準備で
家が慌ただしくなる
新郎の従兄弟とは
実の兄弟の様に幼少気を過ごし
実の兄のように慕っていました
そんな従兄弟と結婚する新婦の方とは面識が無く
どんな女性なのか会えるのを楽しみな気持ちで
当日を迎えることが出来ました
受付のために
早めに式場に到着
久しぶりにお会いする方
初めてお会いする方々
そして
新しく親戚になる新婦側の家族、親族の方々
受付をしながら多くの人の輪と繋がりを感じ
式に呼んでくれたことと
人と人とが繋がる素敵な場を作ってくれたことに
感謝しながら
その日はただ
新しい夫婦の門出をお祝いする気持ちになれました
日付が変わって結婚式の翌日
納棺のために家族と一緒に
葬儀場に赴きました
故人の方は叔母で
小さい頃お爺ちゃんの家に行事等で顔を出したときによく面倒をみてもらい
また、その方の子供で
歳が1つ2つ上の従兄姉が居たのでよく一緒に遊んでもらっていた事を覚えてます
シングルマザーだったその方は破天荒で
ヤンチャな雰囲気を持ちながらも
子供を大切に育てている方でした
2年半前にお爺ちゃんが無くなったときに
会って話したのが最後でした
その時はとても元気に話していた叔母が
こんなに早く亡くなるなんて誰も想像していなかったと思います
たった2年半
されど2年半
短い様で
世界が目まぐるしく変わる
2年半という月日の現実を目の当たりにしました
葬儀場に入り
久々に顔を合わせる親族に挨拶を済ませて
葬儀場の方のお話を拝聴しながら納棺が進行しました
納棺の際に死者への手向けとして
白い短冊用紙に参列者が、金額、メッセージ、好きなものを書いて棺に納めていきました
死後の世界に持っていって頂くものとして
本来は直接お金を棺に納めていた習わしなのですが
現在は禁じられている行為なので
短冊にそれぞれの想いを託して棺に納めるそうです
故人が生前好きだった食べ物や
好きだったものの絵を描いたり
故人に宛てたメッセージを綴ったり
子供たちが不思議そうに真っ直ぐ見詰める眼差しを尻目にふざけて書いてみたりと
その場に集まった全員が想いを込めて書いてました
故人を介してその場に集った人達の表情には
故人を慈しみ
故人との想い出を回想し
故人との記憶を語らい
和気あいあいと盛り上がる
今まで故人が繋いできた輪というもの中で
哀しみだけではない
様々な表情で溢れていました
それは
最期まで生きることと向き合い
どんな道のりであれ
その生を全うした者を前にした時にのみ
現れる表情なのだと思いました
結婚式、納棺で
多くの大人が参列しているなか
僕が目を引いたのは
多くの甥っ子姪っ子達です
2年半という年月が流れるなかで
小さかった赤ん坊が自らの足で歩けるようになり
言葉を理解して発するまで育っていた
ごくごく当たり前の流れではあるが
子供たちの成長がとても喜ばしかったです
そして従姉のお腹には新しい命が宿っており
新しい世代の芽吹きを感じました
今の時代を担う、創造していく世代が僕らだとすると
次の世代を担い、創造していく世代が今目の前に居る子供たちなのだと
これもまたごくごく当たり前の流れではあるが
自分自身でこういう気持ちを抱けたのは
自分の身近にそういう存在が出来たからだと思います
そんな気持ちのなかで想像したことが
僕らの親世代はどういう気持ちで
僕らの事を見守っていたのだろうかということ
僕らと同じ年齢の時
同じように子供だった僕らを見る眼差しに
何を感じ、何を想ったのだろうか
子供たちは人の気も知れず
自由気ままに動き回り大人を振り回す
鬱陶しく感じる時もあるだろう
だけど僕らの成長を愛しく感じ
健やかな成長を望んでいたのではないだろうか
それは僕が幸せで健やかな人生を歩ませてもらったからこその感情なのかもしれないし
そうであって欲しいという希望でもある
この気持ちに共感を得られない方もいるかもしれない
水商売という世界に身を投じて
多くの人と関わる機会を頂きました
そのなかで出会った人達の中には
親に愛されてこなかった
愛情を知らずに育った
その逆に子供を育てる事をあきらめた
愛情を注ぐ事を辞めてしまった
人との接触を求める反面拒んでしまう
そんな方々も多く見てきました
けれども幸せを追い求める
愛情を求める気持ちに何ら変わりは無いと思うのです
この文章で気分を害される方も居るかもしれません
生きてきた家庭環境が、過程が違うからこそ考え方の相違があることも承知してます
だからといってただ否定してほしくはないのです
こういう考え方、こういう感情、こういう想いがあるのだということを先ずは認めて欲しいです
そうして自分の内に取り込んだうえで
様々な気持ちに整理をつけて欲しいのです
故人である叔母の叔父さんは
2年半の間に片足が義足になってました
生死の境をさ迷った際に
病院のベッドで起きたら自分の意思とは関係なく片足が切除されていたらしいです
それを知ったのは
納棺の際に叔父さんが
本来曲がってはならない方向に脚の膝を
手品のように曲げておどけて見せてくれたからです
僕がビックリしている顔を見て笑いながら
先の話をしてくださいました
とても力強くなんて逞しい人生を歩んで居られるのだろうかと
素直に尊敬してます
自分自身の人生もこんな風に強く在りたいと思いました
長々と休みの間の出来事を綴って参りましたが
そろそろ話を纏めていきたいと思います
自殺に追い詰められてる人達にはそれぞれ他人が想像出来ない苦しみや絶望があるのだと思います
未来に対して希望を抱けなかったからこそ
なにかしらの強いメッセージを残したいからこその壮絶な『死』という選択をされたのだと思います
けれども
その壮絶な選択の末に何が待っているか
もし叔母が自殺という選択をしていたら
晴れやかな気持ちで純粋にお祝いの気持ちだけを胸に結婚を祝福出来なかったと思います
甥っ子姪っ子が居るなか和気あいあいと和んだ空気の中で納棺を進行させることも無かったと思います
多くの人の中に悲しみと精神的苦痛を残し
次の世代に不安と悲しい気持ちを覚えさせてしまったかもしれません
自分の事で精一杯で周りを見る余裕が無かったのかもしれません
人の事を考える余裕が無かったのかもしれません
ですが
自分も誰かにとっての希望であり
未来を託されてきた1人なのだということを知っていただきたいです
生きる希望が無くとも
誰かの希望になってみても良いのではないでしょうか?
生きる意味がないと思ってても
誰かの生きる意味になってもいいのではないでしょうか?
綺麗事ばかり並べて不快に思う方が居るとは思います
けれども今
歌舞伎町で起きてることは異常であり
「そういう町だからね」という
一言で終わらせることはできません
今歌舞伎町で起きてることに警鐘をならしたいという想いでここまで文章を綴ってきました
別にモノ書きでもない一人間、一ホストの文章に
最後まで付き合っていただきありがとうございます
この記事で強く生きる意味や希望
前向きな何かが芽生えてくれたら幸いです



