ラブホコンサル関羽のぼやき -9ページ目

ラブホコンサル関羽のぼやき

ラブホテル再生プロデューサー関羽が、ラブホ絡みの話題、その日その日に思うことを鈴なりに綴る。

歌舞伎町のコンビニで雑誌立ち読みしてる奴、

大概風俗待ちやね。

 

 

 

 

皆さん、ども。

 

 

 

 

2024年から日本の紙幣、

刷新されるよね。

 

一万円札には

「資本主義の父」である渋沢栄一。

 

五千円札の津田梅子女史は置いといて。

 

千円札には

「近代日本医学の父」の北里柴三郎。

 

人選について、

違和感持っている人もいるかもだが、

いずれも立派な功績を残した

偉人であることは間違いないんだけど、

 

失礼ながら

福沢諭吉などに比べて

やや馴染みが薄いことは否めない。

 

ところがだ、

この二人、よくよく知ると、

とんでもない、おっさん二人だったことがわかる。

 

実は二人にはいくつか共通点があるのをご存じ?

 

渋沢の方が、北里より13歳年上なのだが、

亡くなっているのは共に1931年と同じ。

 

その意味では

同時代を生きた二人。

 

ところが、どうも二人が直接出会った形跡はない。

 

しかし、

そのキャリアには意外なほど共通点がある。

 

第一は、

役所勤めを辞め、腹を立てて野に下っているという点。

しかも、そこからが本領を発揮したという点も同じ。

 

渋沢栄一はまず、

一橋慶喜の家臣となる。

その後、その弟・昭武の後見人として渡欧してるから、

かなり優秀だったのは間違いないね。

 

で、帰国後新政府に出仕して大蔵省の官僚となる。

上司の井上馨のもとで、矢継ぎ早に色んなことを手掛ける。

こうした功績によりスピード出世したが、

軍事費の増大などに怒った栄一は

 

「莫大な歳出超過で政府の財政は破綻する」

という建白書を公にして、下野してしまう。

 

その後が凄くて、

第一国立銀行の頭取を筆頭に、

次々と500社近い数の企業の設立・経営に参画。

 

でもさ、

今でも多くの企業の社外取締役に

名前を連ねる経営者はいるけど、

さすがに500社というのはいないよなぁ。

 

おそらく、

今風に言えば、起業は好きだが、

経営には強い執着がなかったのかも知れないね。

 

一方の北里先生。

 

肥後熊本藩に生まれた北里柴三郎も、

幼少期から非常に優秀だったそうな。

 

早くから医学に目覚め、

上京して東京医学校(のちの東大医学部)に入り、

その後ベルリン大学に留学して

あの有名なコッホに学び、

破傷風菌の血清療法を開発するなど

大きな業績をあげる。

 

その結果、

ケンブリッジ大学やペンシルバニア大学から、

彼を招聘しようとした。

 

ところが彼は、

その招きを断って帰国した。

 

日本の伝染病予防に

寄与しようとしたんだな。

えらいよねぇ。

 

ところが今ではちょっと考えにくい事なんだが、

当時の日本には、彼の仕事場がなかった。

 

これを救ったのが、福沢諭吉だった。

福沢は柴三郎のために私財を投じて

伝染病研究所を設立して、

さらに政府にかけあって研究所を公的な機関にしてくれた。

 

以後、

伝染病研究所は内務省の管轄下に入り、

赤痢菌の発見、ペスト菌の発見など、

めざましい成果をあげることになる。

 

ところが内務省の管轄下にあった研究所を、

時の政府は、

柴三郎に相談もなく研究所とはほど遠い

文部省への移管を決めてしまう。

 

柴三郎は、

その決定に激しい怒りを覚え、

研究所所長の職を捨てる決意をする。

 

全所員まで辞職したことに勇気づけられ、

彼らとともに私設の北里研究所を立ち上げた。

 

現在の北里大学病院。

 

で、飛躍的に発展、

多くの患者の命を救うことになる。

 

このように不条理な

「官」

での生活を捨て、

民間で大成した二人。

 

自分の利益ではなく、

国の発展や他人のために尽くした点も共通してる。

 

いつの時代もお役人仕事って・・・・。

 

ここまで公の業績を中心に二人の共通点書いたが、

私生活も驚くほど類似点がある。

 

栄一は92歳、柴三郎は80歳で亡くなってる。

後ほどこれに繋がる話になるんだけど、

いずれにしても、

長寿で生涯現役ということ。

 

生涯現役という極めて精力的な人生だったことからわかるように、

そう、そうだよね、

 

二人はずばぬけて女好きであった。ふふふ

 

栄一は、とにかく妾が多く居た。

その愛人たちとの間に20人とも50人とも言われてる

子どもがいたみたいよ。

いかに財力あるとはいえさ、┐(´д`)┌ヤレヤレ

って感じだね。

 

こんなエピソードがある。

栄一は68歳のときにも妾との間に子ができた。

 

そのときに

「いや、お恥ずかしい。若気の至りで……」と言ったという。

 

あちらのほうもまだまだ現役だったのね。。

実に質素な暮らしだったが、

唯一の道楽が女だったらしい。

 

さぁ、このあとの大河ドラマどうなるんだろな。ハハ

 

柴三郎も健康で精力的だった。

親分肌でバンバンと金を使い、金持ちの友人と

芸者の水揚げ競争をしたり、

 

芸者を妾として子どももつくってる。

大盤振る舞いの人であったそうな。

 

奇妙なことに、息子の女問題で苦しんだところも

渋沢栄一とよく似てる。

 

長男の、確か芸者との心中事件で

マスコミに叩かれたりして、

どっかの大学の医学部長を辞める辞めないの問題まで

発展した。

 

結局、学生たちが反対運動をおこして撤回したものの、

彼もまた息子の女性問題で苦しんだ。

 

まぁ、ここまでダラダラと書いてきたけど、

派手な女遊びはともかく、

 

思うのは、そんなこと吹き飛ばすぐらいの

彼らの、私利より公益を重視する姿勢や、

身内のしでかした失態でも責任を取る姿。

 

やはり、

新紙幣の肖像を選ばれた価値あるよなと思う

爺でした。

 

妾かぁ、あーいかんいかん

悪い夢だな。ふふ

 

では今日はここまで。

 

またね(^^♪