■□■□■□■□■□ ネタバレ注意 ■□■□■□■□■□
■□■□■□■□■□ 真面目注意 ■□■□■□■□■□
以前より愛用していたブックカバー (この記事のカバー)と
読みかけだった本を電車に置き忘れてしまい、
紛失届を出したものの見つからなかったので仕方なく新調。
本も失くす前に途中まで読んでたものを買いなおすのではなく
思い切って新しいものを買いました。
結末が多少気になるっちゃ気になるけど、
読んでてあんまり面白くなかったので・・
奇をてらってあまり聞いたことのない作家の小説を買うのは
やっぱりリスク高いなぁと改めて感じたり_(:3 」∠)_
ちなみにこの度読んだのは「分身(東野圭吾)」です。
450ページくらいあって比較的長めの小説だったので
4,5日くらい時間をかけて勉強の合間に読むつもりだったのですが、
次が気になる次が気になるの連続で
結局半日かけて全部読み切ってしまいました。
感想は各人の受け止め方次第なので
あまり立ち入った批評はしませんが、
個人的には面白かったと思います。
「クローン人間」というテーマ設定、発生工学・遺伝子工学についての作品自体は
いまとなってはありきたりなものになってしまっているけど、
この小説が発表されたのが1990年代前半というところまで含めて考えると
違った観点でこの小説を楽しむことができるんじゃないかなー。
(僕のこの表現自体も受け止め方次第で色々な解釈ができると思います)
僕自身いまは法律学という文系分野の研究をしていますが、
もと理系出身ということもあってなかなか・・
色々なことを考えてしまった。
そのへんちょっと・・
せっかくなので適当に書き残します。
まず「クローン人間」についての思考。
クローン人間についての説明は割愛させてもらうとして、
本来人間の誕生というのは自然の領域とされていたものです。
「自然の領域」を「神の領域」と呼称するかは別として。
おそらく神の領域っていうのは
自然に逆らうことへの本能的な畏れの顕れなんだろうなー
と思ったり。
まあ自然の領域っていう言葉で表現しましたが、
男女が性交を行い、妊娠、出産という流れをとるのが
人間の誕生にとって「自然」であると。
にもかかわらず、クローニングにより
人間を人間の意思・計画に基づき創り出すことは許されるか?
人間の誕生自体に医学的な作為を加えていいのか?という問題設定。
じゃあてことで、
そもそもの問題としてクローニングっていうのは
何のために行われているのかっていうことが
気になってきます。
この場合
(1) 手段としてのクローニング
(2) クローン人間としてのクローニング
という2つの場面を想定して、
思考を進めていく必要がありそうですが・・
この2点について簡単に説明すると、
(1)の手段としてのクローニングというのは、
この分身という小説がまさにそういうテーマ設定なんですけど、
たとえば骨髄性白血病患者は、その治癒のためには
HLA(ヒト白血球型抗原)型の一致した健康人の正常な造血幹細胞を移植して
健康な造血システムを再建する必要があるといわれています。
ただし、このような場合に骨髄液を提供してもいいという人はいても、
患者に適合する髄液を持っている人は
親族でも珍しく親族以外の者になると
確率は天文学的な数字になってしまうとか。
そこで役立つのがクローン人間。
クローン人間っていうのはいわば本人のコピーなんだから、
HLA型が一致して当然です。
HLA型が一致する人を探すのは難しいし、
それなら一から作っちゃおうぜっていう思考。
話は上述したような場面に限らず、臓器移植なども含めて
いわゆる臓器バンク的(手段)な役割をクローン人間が担う形になるのが
問題設定の(1)という場面です。
このような場合、クローン人間を
臓器バンクの目的で誕生させることになるのだから
それは問題ですよね。
知っている人も多いと思いますが、
ドイツの哲学者であるイマニュエル・カントは
「道徳形而上学原論」のなかで
(僕の高校時代の恩師は、高校2年の夏休みに
カント著作の「純粋理性批判」を読んでこいという
鬼恩師だったこともあって、カントについては
結構色々勉強しました_(:3 」∠)_笑)
「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に
例外なく存するところの人間性を、
いつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し
決して単なる手段として使用してはならない」 と言っています。
つまり、どんな人間であっても人格を有するがゆえに
個人として尊重されるべき存在であるだけでなく、
独自の価値、ひいては存在する目的を持つものである。
決して、何かほかの目的を達成するための手段として、
その人が存在するわけではない ということが言いたいわけですね。
この点は綺麗ごとだといってしまえばそれまでですが、
そうだったとしても人間を手段として、
臓器バンク目的で誕生させることは大きな問題であり
間違いであるように思います。
じゃあ次に(2)についてはどうか。
つまり、「クローン人間としてのクローニング」
という問題設定について。
この問題について考える前に
そもそもクローン人間が必要となる
時、場合っていうのはどんな時なのか?
を考える必要があります。
すぐに考え付くのは、(1)子供ができない夫婦がいて
体外受精等の手法によっても子供をもうけることができなかった場合。
子供をもうけるとなった場合に、
自分の遺伝子を引き継いだ子供が欲しいと思うのは
至極当然のことで・・
全くの別人よりも、クローニングにより
どちらかの遺伝子を引き継いだ子供をもうけようと
考える夫婦がでてくるのも考えうる場面のひとつだと。
次に考えられるのが、(2)事故などで最愛の子供が死んでしまった場合。
子供の細胞核を使用して、全く同じ子供をもう一度・・という
夫婦がいてもおかしくないでしょう。
むしろそう思う夫婦が大半のような気も・・
あとは(3)レズビアンのカップルが
どうしても2人の子供が欲しいと考えた場合に、
片方の卵子を用いて核を取り除き、
片方の細胞核を入れて(これがいわゆる「クローニング」というもの)
2人の子供をつくるというような場合が想定されます。
他にも色々な場面を想定することはできますが、
結局本質は同じところにありますよね。
では、このような需要があると考えられるクローニングが
世界的な反対の波におされ、
日本におけるクローン技術規制法などをはじめとする
法による規制をうけているのはなぜなのか?
と、色々考えながら文章を書いてたら
ちょっと疲れたので次にまわしますー。
なぜクローン人間が反対・規制されているのか
自分の中で結論がでているところもあるのと、
なにより途中で終わるのは気持ち悪いので、
需要がなくてもいつか必ず書きます。
真面目を通してもうしわけ!(´゚д゚`)
