結果からいうと僕は自分が嫌いで仕方ない。
始まりは14歳の秋 中学生の僕は塾に通っていたのだが
夏の講習をサボってただただ遊び倒した、遊んでる間は塾の仲間に見つからないか親にバレないか不安で仕方なかった。夏の講習が終わった後の初登校 人が怖くて仕方なかった。後ろから悪口言われてるんじゃないか周りの目が怖くて仕方なかった。最初は先生が教室を回って自分のノートを凝視する時に手の震えが止まらなくなった 次第に黒板が見れなくなった 見ようとすると体全体が震えて油汗がとまらなくなった
高校2年までなんとか学校に行ったけど
震えてる自分が皆の目につかない訳がない
なんでそんな俯きながら震えてるの(笑)って声が聞こえて来た時はノートに死にたいと書いて気づけばノート全面いっぱいになってた
水筒にウィスキーをいれて飲んでやり過ごしてたクソ馬鹿な自分は親や先生に学校を辞めたいって必死にお願いした、、、誰からも理解はされなかった
もう死しかないと思った自分はウィスキーの瓶を一気飲みして図書室に灯油を撒いて、寝起きのまま教室に2限目から入った
全員 ポカーン(゚д゚)として凝視された記憶がうっすらある
先生に会議室まで連れてかれて説教をうけた
働いてる両親がきて泥酔状態の自分に説教をしてたのもうっすら覚えてる
でも無意識で辞めたい 本当に辞めたいです 辞めれないなら図書室に火をつけて死にます楽にさせてくださいって言葉が出てきた時 涙がとまらなくなった普段全く泣かないから自分でもびっくりしながら涙が本当にとまらなかった
結果大人達全員が退学届けにサインを悲しそうな顔をしながら書いてた自分も泥酔状態でブルブルな字でフルネームを書いた
それから3日後ベッドの上で目が覚めた
その時の感情は安堵ではなかったもう高校生じゃないっていうレールからはみ出した自分に落胆した
それから高認試験をもてる単位があったので
働きながらセンター試験をうけた
3回うけて3回目でやっと大学に受かった
それから夜職をやった
夜職は酷い世界だった給料がないのも暴力をうけるのもトイレに行きたいがお酒をロックで飲み続けなきゃいけないのも
それまでも何度も自殺未遂はしてきたが
夜職を飛ぶ時は本気だった400錠の薬をのんでラブホテルから飛び降りた(その時リーマスという薬を選んでたら死んでたらしい不幸中の幸いだった)
初めてICUで目が覚めたとにかく体のいたるところが痛くて薬の副作用で肺炎、肝障害になった
今思えばなんであんなことしたんだろうって不思議と思える。
とにかく後遺症は地獄だ
歩き方も障害者(実質そうだが)みたいになって唯一の友人に普通に歩けないのウザイという小声が聞こえて
はっと吹っ切れた
自分は利用されてただけだったんだなって
それから現実と向き合って弱いまま必死に生きていこうと思えた。
色々諦めているけど人や動物1人1匹でも幸せにして
親孝行したら後悔はないおまけの人生を歩んでいきます。
PS.大学は辞めました 奨学金110万残ってるので地道に返して必死に生きていく
Twitterのフォロワーさんや家族に支えられて生きて居られてるので感謝でいっぱいです。
始まりは14歳の秋 中学生の僕は塾に通っていたのだが
夏の講習をサボってただただ遊び倒した、遊んでる間は塾の仲間に見つからないか親にバレないか不安で仕方なかった。夏の講習が終わった後の初登校 人が怖くて仕方なかった。後ろから悪口言われてるんじゃないか周りの目が怖くて仕方なかった。最初は先生が教室を回って自分のノートを凝視する時に手の震えが止まらなくなった 次第に黒板が見れなくなった 見ようとすると体全体が震えて油汗がとまらなくなった
高校2年までなんとか学校に行ったけど
震えてる自分が皆の目につかない訳がない
なんでそんな俯きながら震えてるの(笑)って声が聞こえて来た時はノートに死にたいと書いて気づけばノート全面いっぱいになってた
水筒にウィスキーをいれて飲んでやり過ごしてたクソ馬鹿な自分は親や先生に学校を辞めたいって必死にお願いした、、、誰からも理解はされなかった
もう死しかないと思った自分はウィスキーの瓶を一気飲みして図書室に灯油を撒いて、寝起きのまま教室に2限目から入った
全員 ポカーン(゚д゚)として凝視された記憶がうっすらある
先生に会議室まで連れてかれて説教をうけた
働いてる両親がきて泥酔状態の自分に説教をしてたのもうっすら覚えてる
でも無意識で辞めたい 本当に辞めたいです 辞めれないなら図書室に火をつけて死にます楽にさせてくださいって言葉が出てきた時 涙がとまらなくなった普段全く泣かないから自分でもびっくりしながら涙が本当にとまらなかった
結果大人達全員が退学届けにサインを悲しそうな顔をしながら書いてた自分も泥酔状態でブルブルな字でフルネームを書いた
それから3日後ベッドの上で目が覚めた
その時の感情は安堵ではなかったもう高校生じゃないっていうレールからはみ出した自分に落胆した
それから高認試験をもてる単位があったので
働きながらセンター試験をうけた
3回うけて3回目でやっと大学に受かった
それから夜職をやった
夜職は酷い世界だった給料がないのも暴力をうけるのもトイレに行きたいがお酒をロックで飲み続けなきゃいけないのも
それまでも何度も自殺未遂はしてきたが
夜職を飛ぶ時は本気だった400錠の薬をのんでラブホテルから飛び降りた(その時リーマスという薬を選んでたら死んでたらしい不幸中の幸いだった)
初めてICUで目が覚めたとにかく体のいたるところが痛くて薬の副作用で肺炎、肝障害になった
今思えばなんであんなことしたんだろうって不思議と思える。
とにかく後遺症は地獄だ
歩き方も障害者(実質そうだが)みたいになって唯一の友人に普通に歩けないのウザイという小声が聞こえて
はっと吹っ切れた
自分は利用されてただけだったんだなって
それから現実と向き合って弱いまま必死に生きていこうと思えた。
色々諦めているけど人や動物1人1匹でも幸せにして
親孝行したら後悔はないおまけの人生を歩んでいきます。
PS.大学は辞めました 奨学金110万残ってるので地道に返して必死に生きていく
Twitterのフォロワーさんや家族に支えられて生きて居られてるので感謝でいっぱいです。