昨年夏、生きることに疲れて人生やめようかと思いましたが、
それも出来なかったので生きてます。
昨年の9月までは人と話すのが怖くなり、顔を合わせられない状態でした。
話すことも怖くて、必死に出した声はこんなにも小さいのかと。
死にたくても死ねなかったこと。
だから、生きるしかなかったということ。
誰かを頼っては邪魔な存在になるばかりなので、独りで生きようとしたこと。
色々ありました。
おかげさまで周囲の方々の支えがあって、徐々に元気も取り戻すことができ、
今では笑えるまでにはなりました。
大人になろうとか、
真面目に生きようとか、
思いすぎていたのかも知れません。
お世話になってる方たちの迷惑にならないよう・・・。
それが失敗だったのかも知れません。
自分なりに頑張ってみました。
できないことばかりを、必死に追いかけました。
でも、ダメでした。
ほんと、全部がダメでした。
真面目な部分も僕の一部だとは思います。
おちゃらけるのも僕の一部だと思います。
性格からいうと、両極端に位置する2つ。
どちらかを殺して、どちらかで生きる・・・
というのは、僕には無理だったんだと理解しました。
それは、僕を否定することでした。
どっちに転んでも、否定をされました。
笑ってると「笑うな」
真面目にいると「面白くない」
それは誰かに言われたからとかではなく、
世の常なのではないかと思うようになりました。
だったら、誰かの意見や批判、説教にいつまでも流されていても意味はない。
どうあがいても、仮面を被って役を演じることに限界はある。
自分の何かを殺してまで手に入れた『自分』は、
殺された『自分』から復讐もされる。
だから、どっちかだけって、生きることはできない。
ふざけながら、真面目に生きればいい。
真面目な言動を、バカのままでやればいい。
それを人は変人とか、傾奇者とか言います。
どちらかを選んでもダメなのであれば、
そしてどちらも捨てることができないのであれば、
どちらも自分なんだと受け入れ理解するしかありませんでした。
だったら、そうすれば良い。
おそらく、最も嫌われ、最も無視され、最も人が離れていくでしょう。
でも、それで良いのだと思います。
自分が自分を受け入れられない世界で、
どうやって生きていけるんだろうか?
僕はロボットでもなければ、奴隷でもない。
自分を押し殺してないと生きていけない世界で、
ワクワクするだとか、生きる意味だとか、自由だとか、
そんなこと言われても、何も感じない。
どのみち邪険に扱われるなら、いっそ両方受け入れて生きた方が良い。
だから、僕は、俺は、狂ったままで生きていこうと思う。
