諸君、ごきげんよう。

なかなか忙しくてこちらのほうに、顔を出せなかったことを詫びる。

では、本題に行こう、ただでさえこの講義は長いのでな。

今回は1419年から始めるが、前公は亡くなられ、公位はアレクサンダー1世に譲られた。

彼の行いは自国を飛躍的に発展させた。
今回は、彼の業績を中心に講義していこう。

まず、彼は周辺国との融和を図り、他国に信用される国を作った。

その結果、1420年におよそ300年ぶりに神聖ローマ帝国にザクセン朝が復活した。(第二次ザクセン朝の成立)
ザクセン選帝侯の書室

さて、ここである事件が起きた。
南の隣国であるチューリンゲンからある、一通の書簡が届いた。
その内容としては、ザクセン公による帝位継承は正当でなく、我が国はこれを認めずとのことだった。

外交官を派遣し、交渉によって事を収めようとしたが失敗。

やむなく交戦状態となってしまった。

ザクセン選帝侯の書室

2年間の戦争の末、1424年6月にチューリンゲンは降伏、チューリンゲンを属国にし領土の割譲をさせた。

この戦争によって我が国はまた一層強固になっていくのである。

ザクセン選帝侯の書室

その後は比較的平和で安定した年が続いたが、均衡を乱そうとしたバイエルン公に対し、討伐軍を挙兵し、多額の賠償金を獲得したこともあった。

そんなこんなで、1429年に至ったのである。

では今日はこれまで。
次はなるたけ早く講義ができるように努力しよう。
どうも、一ヶ月振りの更新となってしまいました(ToT)

一昨日辺りからくしゃみが止まらんです。

これは花粉症なのか、それとも寒暖差から風邪引いたのか・・・

謎です。

ちゅーことで配信中にくしゃみしても笑って「m9」してあげてくださいなw
諸君、ごきげんよう。

講義3回目にしてようやく時間を進めることができた。
前置きがいろいろと長くなったようでもあるが、こんなものだろうか。

今回は、主に経済を中心に歴史を観ていこうと思う。

ザクセン選帝侯の書室

これは、前回も見てもらった通り1399年の財政状況である。
国税修正が94%あるのだが人口がすくないので、収入も雀の涙ほどしかない。

そこで先人たちは考えた。
当時蔓延していた黒死病(ペスト)の予防薬として飲まれていたジン等の蒸留酒の販売を認可制にし、認可料を払ったマイスターのみ販売できる法律、いわゆる酒類法を制定したのである。
ザクセン選帝侯の書室

余談ではあるが、このときすでにボヘミア王は死去し、新たにオーストリア公がローマ皇帝の座についていた。

また、国外の重要貿易都市に商人を派遣し、取引を行い利益の数%を国に納めさせたりもしたのである。
そして、10年後の1409年にザクセン公国はハンザ同盟に正式に加入を果たした。

ザクセン選帝侯の書室

ハンザ同盟とは、北ドイツのリューベック等を中心とした都市同盟のことである。
同盟に加入した事によって今まで排他的だったリューベックにおいて取引ができるようになり、結果、国内の利益向上につながったのである。


そしてこの結果、1419年11月7日の経済状況はこのようになった。
ザクセン選帝侯の書室

公爵の退位など国内ではゴタゴタがあったが、その話は次回の講義にまわすとしよう。
では、今日はこれまで。