私がまだ若かりしころ、その一報は、怠惰な生活を続けていた自分を目覚めさすには十分な
出来事であった・・・。
ある日、いつもの様に、さほど興味もない情報番組が告げた緊急放送。
「ご覧ください。ここは紛争地域ではありません。今大阪で現在起きていることです」
まじで!・・・。
炎上した横倒しの車。 飛び交う怒号。 睨み合う市民と機動隊。
カメラが映し出す、俄かには信じられない映像の数々。
これが世に言う 第22次西成大規模暴動である。 詳細は下記に記す。
1973年
の第21次暴動より約17年間の空白期があったが1990年
10月2日
からおよそ5日間、大規模な暴動が発生した。
暴動の発端は西成警察署刑事課の刑事
が暴力団
から賄賂
を受けていたことが発覚し逮捕
されたという報道
による。事件そのものは労働者と直接の関連はないが、労働者が西成署員に対して普段から快く思っていなかった事や自分達の日当を暴力団
にピンはね
され、その暴力団から賄賂を受け取っていた事から日頃の不満や怒りが爆発したもの。事件報道を受けて西成警察署前に集まり始め謝罪と説明を要求ののち、警察とにらみ合いの末に暴動に発展した。これを契機として、あいりん地区の各地に暴動が飛び火する事態となる。
さらには報道で暴動騒ぎを知った区内外の若者達(主として暴走族
)も便乗して参加、火炎瓶
の使用や投石、店舗からの略奪などを行って暴動をエスカレートさせたが、これはそれまでの西成暴動には見られない出来事であった。西成署は機動隊
を配備(のち、各署にも応援を要請)し、放水車を使って暴動に対処。逮捕者は数十名に上った。暴動自体は発生から6日後に自然に鎮静化したものの阪堺線
南霞町駅
が放火されて全焼(後に仮設駅で営業を再開するが、元の位置には戻ることはなかった)したほか、近隣店舗が破壊されるなど傷跡は深く残った。
Wikiから一部抜粋
暫く明滅するその箱を、ただ呆けながら見入る自分。
これは大変なことが起きている。 正気に戻った私は、持ち前のジャーナリズムと、ジャパニーズで唯一
サーの称号を冠している貴族魂に火がつき、すぐに連れに連絡をした。*因みにその時代にはモバイルなる
科学の英知は存在しない。
いつもつるんでいる近い仲間に連絡するも、あえなく撃沈。何でこんなときに限って!!
その後数人にアポをとろうとするも、なしのつぶて。
一人でその場に行くのもなーと、小心者の私は今一歩気が進まずテンション急降下。
まっ俺貴族じゃないしと、前述をどこぞの総理の様に撤回し 大好物のぼんちあげの封を開けようとするや否や、あんた友達から電話やで!!とばばあの濁声。 誰やと思いつつ電話に出ると 俺や俺やと聞きなれない詐欺師の口上。
穿ちながらよくよく話を進めると、どうやら喋ったことのないクラスの同級生と判明。
こいつ何の用事で、何で家の番号知ってんねん?と思いつつ、どうしたん珍しいと、他愛もない会話。
実は前から遊びたいとおもててん・・・ 番号は名簿で調べてん・・・ などと職質を受けているチャイニーズの様に一向に的を得ない。
展開に嫌気が差した自分は、まーじゃ今度遊ぼうや。と受話器を置こうとした瞬間
っちゃ ちゃうねん! そんな事言いたいんじゃ無くて・・・。 今日のニュースみた?
何の話?
今あいりんで凄いこと起こってんの知ってるか?
もっもしかして暴動の話か?
それ!!俺あれ今から先輩に誘われていかなあかんねん!!
なっなにーーーーーーー!!! まさかここに探し続けた勇者がおったとわーーー!!!
差し詰め俺は踊り子レベルか。
その話を聞いた自分は、生き別れになった両親との再会の如く(徳光号泣) 今すぐ行くからと、だけ告げ
着るもの選ばず、待ち合わせの、南海高野線新今宮駅に走った。
つづく